炎鵬は小学校に入る前から相撲を取っていた
相撲少年であった。中学校時代は輝とともに
相撲部であった。輝は中卒で大相撲に入門
したが、炎鵬は大学まで進学した。金沢学院
大学時代に世界相撲選手権大会の軽量級で
2連覇するなど多くの実績を残した。卒業前
は、実は就職活動をしていたが、相撲の実績
を生かしたほうがいいと応募企業から薦めら
れ、白鵬3人目の内弟子として入門した。
炎鵬と名づけたのは白鵬である。
大相撲の世界に飛び込むや、炎鵬の快進撃が
始まった。序ノ口、序二段、三段目を7戦
全勝で勝ち進み、幕下入りした。幕下もわず
か2場所で通過して新十両を決めた。序ノ口
からトータル5場所、1年かっていないので
ある。さらに驚くべきは100キロに満たない
軽量でこれらを成し遂げた点である。スピー
ド出世といえば貴景勝が当てはまるが、それ
でも十両までは9場所かかっている。
しかし、新十両の場所ははね返された。4勝
11敗と大敗した。力士人生初、かつ唯一の
負け越しである。しかし幕下2場所で戻って
きた。十両から幕下に落ちたときはすぐに
戻らないと、定着してしまう恐れがでてくる。
炎鵬はジンクスをはねのけて十両に復帰した。
再十両では地道に勝ち進んできた。1度も
2ケタ勝利をあげることなく、4場所で入幕
を決めた。序ノ口から12場所かかっていた。
スピード出世の貴景勝は13場所かかっての
入幕だった。炎鵬は24歳である。体重は99
キロで、いまだ100キロ未満である。左四つ、
下投げを中心に捻り技、足取りなどもみせる。
きたる五月場所、白鵬が出場するなら太刀持
ちを務めることになる(露払い石浦)。なに
よりも小さな体でどんな技の相撲をみせる
のか。相撲ファンの注目を一心に集めるのは
間違いない。
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