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志摩ノ海の出世街道

志摩ノ海は相撲少年であった。この辺は遠藤
と同様である。しかし、明徳義塾高校では
部員不足で十分な活動ができず、大学へ進学
することになった。現役では栃煌山、琴奨菊
を生んだかつての名門高校も寂しい限りで
ある。大学は近畿大学に入学した。現役では
宝富士、徳勝龍、朝乃山を生んでいる。しか
し、木瀬(元肥後ノ海)部屋に入門したもの
の、個人での実績が乏しく、前相撲からの
スタートとなった。
志摩A
出世の出だしは順調だった。序ノ口から4場
所で幕下入りを決めた。これは友風と同じ
ペースである。幕下でも2場所連続勝ち越し
と順風満帆であった。ところがまさかの運命
が待ち受けていた。暗転の力士人生へと急遽
転落してしまった。それは幕下3場所目の
土俵で起こった。左膝十字靭帯断裂という
大ケガをおってしまった。その場所は途中
休場。それだけでは済まなかった。その後
なんと5場所連続全休で、番付はたちまち
序ノ口まで急降下した。
140725十三日目幕下以下 032濱口序ノ口優勝相手藤嵐
<H26年7月 連続休場後の序ノ口で優勝 
した濱口 相手は藤嵐>

ここから志摩ノ海(当時の四股名は濱口)の
復活が始まった。序ノ口、序二段と連続優勝。
三段目も1場所で通過して幕下に復帰した。
幕下は結局9場所、1年半かかかって十両
昇進を決めた。7場所勝ち越し、2場所負け
越しであった。ここで四股名を濱口から志摩
ノ海に改めた。十両は27歳直前だった。
160710初日幕下 268心十両
<H28年7月 新十両>

しかし、喜びはつかの間であった。十両は
わずか1場所で幕下に降格した。ここで再び
時間を要することになった。1年半に及ぶ
長期幕下生活となった。5場所連続全休後の
幕下9場所の成績は39勝24敗に対し、十両
陥落後の幕下9場所は37勝26敗であった。
190312三日目十両 314志摩対千代丸
<H31年3月千代丸を圧倒した志摩ノ海>

ようやく再十両を果たしたものの成績は一進
一退であった。志摩ノ海が強さを発揮したの
は、ここ2場所であった。13勝2敗で2場
所連続優勝を達成して入幕を決めた。再十両
から7場所が経過していた。前相撲からでは
7年かかっていた。苦労人志摩ノ海は29歳に
なっていた。157キロ、得意技は突き押しで
ある。幕内でどんな活躍をみせるか、改めて
注目していきたい。

忙しい日々が続きます。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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