大相撲

志摩ノ海の出世街道

2019年5月1日

志摩ノ海は相撲少年であった。この辺は遠藤
と同様である。しかし、明徳義塾高校では
部員不足で十分な活動ができず、大学へ進学
することになった。現役では栃煌山、琴奨菊
を生んだかつての名門高校も寂しい限りで
ある。大学は近畿大学に入学した。現役では
宝富士、徳勝龍、朝乃山を生んでいる。しか
し、木瀬(元肥後ノ海)部屋に入門したもの
の、個人での実績が乏しく、前相撲からの
スタートとなった。
志摩A
出世の出だしは順調だった。序ノ口から4場
所で幕下入りを決めた。これは友風と同じ
ペースである。幕下でも2場所連続勝ち越し
と順風満帆であった。ところがまさかの運命
が待ち受けていた。暗転の力士人生へと急遽
転落してしまった。それは幕下3場所目の
土俵で起こった。左膝十字靭帯断裂という
大ケガをおってしまった。その場所は途中
休場。それだけでは済まなかった。その後
なんと5場所連続全休で、番付はたちまち
序ノ口まで急降下した。
140725十三日目幕下以下 032濱口序ノ口優勝相手藤嵐
<H26年7月 連続休場後の序ノ口で優勝 
した濱口 相手は藤嵐>

ここから志摩ノ海(当時の四股名は濱口)の
復活が始まった。序ノ口、序二段と連続優勝。
三段目も1場所で通過して幕下に復帰した。
幕下は結局9場所、1年半かかかって十両
昇進を決めた。7場所勝ち越し、2場所負け
越しであった。ここで四股名を濱口から志摩
ノ海に改めた。十両は27歳直前だった。
160710初日幕下 268心十両
<H28年7月 新十両>

しかし、喜びはつかの間であった。十両は
わずか1場所で幕下に降格した。ここで再び
時間を要することになった。1年半に及ぶ
長期幕下生活となった。5場所連続全休後の
幕下9場所の成績は39勝24敗に対し、十両
陥落後の幕下9場所は37勝26敗であった。
190312三日目十両 314志摩対千代丸
<H31年3月千代丸を圧倒した志摩ノ海>

ようやく再十両を果たしたものの成績は一進
一退であった。志摩ノ海が強さを発揮したの
は、ここ2場所であった。13勝2敗で2場
所連続優勝を達成して入幕を決めた。再十両
から7場所が経過していた。前相撲からでは
7年かかっていた。苦労人志摩ノ海は29歳に
なっていた。157キロ、得意技は突き押しで
ある。幕内でどんな活躍をみせるか、改めて
注目していきたい。

忙しい日々が続きます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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