大相撲

炎鵬の出世街道

2019年5月2日

炎鵬は小学校に入る前から相撲を取っていた
相撲少年であった。中学校時代は輝とともに
相撲部であった。輝は中卒で大相撲に入門
したが、炎鵬は大学まで進学した。金沢学院
大学時代に世界相撲選手権大会の軽量級で
2連覇するなど多くの実績を残した。卒業前
は、実は就職活動をしていたが、相撲の実績
を生かしたほうがいいと応募企業から薦めら
れ、白鵬3人目の内弟子として入門した。
炎鵬と名づけたのは白鵬である。
炎鵬A
170721十三日目十両幕下以下 082序二段優勝を決めた直後
<H29年7月 序二段優勝を決めた直後
の炎鵬>
大相撲の世界に飛び込むや、炎鵬の快進撃が
始まった。序ノ口、序二段、三段目を7戦
全勝で勝ち進み、幕下入りした。幕下もわず
か2場所で通過して新十両を決めた。序ノ口
からトータル5場所、1年かっていないので
ある。さらに驚くべきは100キロに満たない
軽量でこれらを成し遂げた点である。スピー
ド出世といえば貴景勝が当てはまるが、それ
でも十両までは9場所かかっている。
180114初日十両幕下途中 317常幸龍戦
<H30年1月 幕下時代の炎鵬 
対戦相手は常幸龍>

しかし、新十両の場所ははね返された。4勝
11敗と大敗した。力士人生初、かつ唯一の
負け越しである。しかし幕下2場所で戻って
きた。十両から幕下に落ちたときはすぐに
戻らないと、定着してしまう恐れがでてくる。
炎鵬はジンクスをはねのけて十両に復帰した。
180311初日幕下 457新十両
<H30年3月 新十両>

再十両では地道に勝ち進んできた。1度も
2ケタ勝利をあげることなく、4場所で入幕
を決めた。序ノ口から12場所かかっていた。
スピード出世の貴景勝は13場所かかっての
入幕だった。炎鵬は24歳である。体重は99
キロで、いまだ100キロ未満である。左四つ、
下投げを中心に捻り技、足取りなどもみせる。

きたる五月場所、白鵬が出場するなら太刀持
ちを務めることになる(露払い石浦)。なに
よりも小さな体でどんな技の相撲をみせる
のか。相撲ファンの注目を一心に集めるのは
間違いない。

御嶽海がプレバトに出演。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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