七月場所4日目、白鵬が休場した。そのとき
大相撲中継で「再出場はまだようすをみて、
おそらく…どうでしょうか」とアナウンサー
が向こう正面で白鵬の師匠である宮城野(元
竹葉山)に尋ねた。「ちょっとまだはっきり
とはわからないですね」と答えている。驚い
たのは横綱の再出場は近年ないからである。
平成はもちろん、部屋別総当たり制が始まっ
た昭和40年以降、いや年6場所制が始まった
昭和33年以降もない。大関も同様である。
いや引退覚悟の再出場がある。横綱貴乃花が
平成15年一月場所、出場-休場-再出場ー
引退がある。厳密には再出場しきっていない
が、当時の貴乃花は限界であった。
横綱が再出場するメリットは見当たらない。
当然好成績は望めない。そういう意味でこの
質問は予想外のことであった。
それでは、横綱・大関の再出場はどれくらい
あるのか。国技館が誕生し、雨などで順延が
なくなった明治42年夏場所以降を調べてみた。
なくなった明治42年夏場所以降を調べてみた。
横綱・大関の途中出場は次の4つのパターン
があった。
1.出場-休場-再出場
2.初日から休場-出場
3.初日から休場-出場-再休場
4.出場-休場-再出場予定が休場
その一覧が以下である。
昭和初期、戦後の混乱期を経た昭和20年代に
多く見られる。当然ながら若ノ花以外成績が
よくない。
明治は大関駒ヶ嶽の名が目立つ。大正でも
1度登場している。合計4度登場している。
初日から休場-出場-再休場した大正3年
春場所限りで引退している。大正期に大関
朝潮の名が3度でてくる。この朝潮は2代目
で、後高砂となって前田山を育てている。
源氏山は後の3代目西ノ海である。一時期
井筒3兄弟の寺尾がこの四股名を名のって
いたことがある。
横綱前田山は連続途中出場している。昭和
20年代は複数の四股名が登場する。昭和25年
一月場所は蔵前に仮設国技館ができ、前人気
は高かった。ところが、横綱東富士・照國・
羽黒山が次々に休場して、たちまち横綱不在
になってしまった。協会は横綱格下げ論を
打ち出したが、世論の猛反対にあった。そこ
で横綱誕生を審議する横綱審議委員会が誕生
することになった。そんないきさつからか、
横綱東富士・羽黒山は途中出場している。
その後羽黒山再度、東富士にいたってはさら
に3度途中出場している。
昭和31年、大関若ノ花の人気は大変なモノ
だった。その若ノ花の長男がちゃんこ鍋で
亡くなるという痛々しい事故がおきた。秋
場所前のことであった。首に数珠かけて場所
入りした若ノ花は初日から鬼神のごとく勝ち
進んだ。12連勝と若ノ花ファンは熱狂した。
しかし、若ノ花の体を高熱が襲っていた。
ついに13日目は休場。千秋楽出場を予定して
いたが、体調は思わしくなく、再び休場で
不戦敗となった。
もう昔のことになるが、かつては横綱・大関
が再出場していた。そんな時代もあったので
ある。今後横綱・大関の再出場はおそらく
ないと思われるが、横綱・大関が再出場した
ことを記憶の片隅に留めていただければ幸い
である。
台風が心配です。
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よしなに
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