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大関陥落 琴奨菊の復帰はあるか

一月場所、琴奨菊はついに勝ち越せず、大関
陥落が決まった。1年前の優勝の栄光は、
もはや遠い昔になってしまった。琴奨菊は
立ち合いから一気のがぶり寄りで攻める相撲
である。最近は出足がとまる、あるいはまわ
りこまれる相撲になると勝てなくなってきて
いる。わかりやすいといえば、これほどわか
りやすい相撲もない。
161113初日十両 597
<琴奨菊>
 
問題は三月場所である。10勝以上すれば、
大関に復帰できる規定がある。この規定が
できたのは、昭和44年の七月場所である。
それ以前は3場所連続負け越しであった。
つまり、琴奨菊も三月場所で10勝以上すれば、
大関に復帰できるのである。
それでは、この規定で復帰した大関はどれ
くらいいるのだろうか。昭和44年七月以降、
大関から陥落した力士は15人(琴奨菊は16
人目)。それが以下である。そのうち、
10勝以上の規定で復帰したのは、4人で
ある。
大関陥落A
最初に復帰したのは、三重ノ海である。三重
ノ海は関脇で優勝して大関に昇進したが、
8勝-2勝-2勝とわずか3場所で大関を
陥落した。関脇で10勝をあげて大関に戻った。
ただし、三重ノ海はそこからが違った。強さ
と安定を増して横綱に昇進したのである。こう
したケースは三重ノ海一人である。
2人目は貴ノ浪である。大関時代は武蔵丸と
好勝負をしたり、同部屋貴乃花と2度の優勝
決定戦を制したりと実績ある大関だった。
しかし、大関35場所務めて関脇に降格した。
10勝で復帰したが、すぐに陥落し、再び大関
に戻ることはなかった。
3人目は武双山である。大関に上がったとた
ん全休と負け越しで陥落した。10勝で復帰
して長く大関を務めた。だが、大関での優勝
はなかった。4人目は栃東である2度落ち、
2度とも復帰した珍しいケースである。新
大関優勝や朝青龍との相星決戦を制しての
優勝など見せ場をつくった。
06初 千秋楽三役以降 001栃東優勝インタビュー
<大関に2度復帰した栃東>
 
大関降格後0からやり直して再び昇進した
のが、魁傑である。師匠の花籠(元大ノ海)は、
魁傑を3人目の横綱にと期待していたが、
腰高と窮屈な相撲で大成しなかった。ただ、
クリーンな力士であった。魁傑の「休場は
試合放棄」は、負けが込むと休場する横綱・
大関の慣習に対して、新鮮な響をもってファ
ンに受け入れられた。
170116九日目幕内 922
<優勝稀勢の里に土をつけた琴奨菊>
 
さて、琴奨菊は彼らに続くことはできるのだ
ろうか。心配な点は33歳という年齢と馬力
相撲に陰りが見える点である。しかし、先場
所優勝した稀勢の里を倒しているのだから
最後の力をふりしぼって15日間を戦い抜いて
いただきたい。

水戸に1年半住んでいたことがあります。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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