昭和の大相撲を揺るがした春秋園事件。番付の方屋を
占めた出羽海部屋が事実上の崩壊に至った。それはどう
いう流れでいたったか、しぼって展開する。1月10日
出羽系中心の力士は大日本新興力士団として旗揚げする
ことに決定した。
1月12日に右翼団体国粋会が調停を申し入れるが、大日
本新興力士団はこれを断った、その夜、武蔵山はひそかに
春秋園を脱出した。このあとも国粋会との調停は続くが、
物別れに終わり、1月16日出羽ヶ嶽を除く新興力士団は
詫びとして髷を切った。
1月25日武蔵山が出羽海部屋に帰参した。3日前に本場所
開催を決定していた協会は喜んだ。しかし、誠意なき
回答の協会に利用されるとふんだ東方力士9人と十両
力士8人が革新力士団として脱退した。後に剣岳も加わっ
た。十両以上で残ったのはわずか15力士であった。
元両国(前名国岩)の出羽海は責任を取って取締を辞任し、
相談役となった。混乱は1年間続いたが、新興力士団と
革新力士団の興行は最初こそうまくいったが、最終的には
いきづまり、脱退組のうち武蔵山を含め鏡岩・朝潮・出羽
ヶ嶽ら22人が最終的に協会に復帰する結末を迎えた。
これまでの力士の動きをまとめると以下になる。
東 幕内 西
玉 錦 大関武蔵山 第1次脱退、後復帰
能代潟 張出大ノ里 第1次脱退
清水川 関脇天 竜 第1次脱退
幡瀬川 小結綾 桜 第1次脱退、後復帰
沖ツ海 筆 頭出羽ヶ嶽 第1次脱退、後復帰
鏡 岩 第2次脱退、後復帰 2 信夫山 第1次脱退
朝 潮 第2次脱退、後復帰 3 和歌嶋 第1次脱退、後復帰
高 登 4 山 錦 第1次脱退
錦 洋 第2次脱退 5 藤ノ里 第1次脱退
太郎山 第2次脱退、後復帰 6 大和錦 第1次脱退
雷ノ峰 第2次脱退 7 新 海 第1次脱退、後復帰
吉野山 8 高ノ花 第1次脱退、後復帰
若葉山 9 錦華山 第1次脱退、後復帰
古賀ノ浦 10 肥州山 第1次脱退
寶 川 第2次脱退、後復帰 11 大 崎 第1次脱退
大 潮 12 常盤野 第1次脱退
綾ノ浪 第2次脱退 13 常陸嶋 第1次脱退
若瀬川 14 伊勢ノ濱第1次脱退、後復帰
海光山 第2次脱退、後復帰 15 玉 碇 第1次脱退
剣 岳 第2次脱退 16 外ヶ濱 第1次脱退、後復帰
東 十両 西
常 昇 第1次脱退 1 旭 川
金 湊 第2次脱退、後復帰 2 羽後響 第1次脱退
銚子灘 第1次脱退、後復帰 3 太刀若 第2次脱退、後復帰
番神山 第2次脱退、後復帰 4 綾 昇 第1次脱退、後復帰
霞ヶ浦 第1次脱退 5 盾 甲 第2次脱退、後復帰
双葉山 6 鳴 潮 第2次脱退
潮ノ濱 第2次脱退 7 駒 錦 第1次脱退
磐 石 第2次脱退、後復帰 8 倭 岩 第1次脱退
大 鶴 第1次脱退 9 鳴戸潟 第1次脱退
石 山 第1次脱退 10 大ノ濱
綾 若 第1次脱退、後復帰 11 上宮山 第2次脱退
出羽海をめぐる混乱は1938(昭和13)年に新たな形で
起こった。
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