元旭富士の定年が7月に迫っている。伊勢ヶ濱部屋はすでに弟子の
照ノ富士に譲った。定年後再雇用宮城野として協会に残り部屋を見
守ることになる。伊勢ヶ部屋といえば多くの関取を輩出した。特に
2横綱を育てたことは名伯楽として讃えていい。改めて振り返って
みよう。

大島(元旭國)部屋の旭富士が現役を引退したのは1992年一月場所
中であった。大島部屋は立浪(元2代目羽黒山=安念山))部屋の
分家であった。最初は年寄旭富士であった。病気の安治川(元陸奥
嵐)は協会を退く意向を固めていた。そして安治川部屋を旭富士に
託すことにした。
元旭富士は安治川部屋継承としてスタートした。1993年7月のこと
であった。2017年11月まで続いた。幕内力士として安美錦、安馬、
安壮富士が育った。安美錦と安壮富士は兄弟であり、元旭富士の従
甥(いとこの息子)であった。安美錦は関脇までいった。
2007年11月から伊勢ヶ濱を襲名した。部屋は伊勢ヶ濱部屋として改
称スタートした。安馬は大関に昇進すると日馬富士に改名した。15
日制では初の連続全勝優勝して横綱に昇進した。体はけして大きく
はなかった。

さらに関脇宝富士、誉富士が育った。元2代目若乃花の間垣は体が
ままならず、指導ができなくなっていた。間垣は同郷青森の元旭富
士に弟子を託すことにした。2013年3月25日のことであった。その
なかに若三勝がいた。のちの照ノ富士である。
(この項目続く)