横綱の1年間の休場数を歴次横綱順にふれてきたが、総括し14傑で
まとめたい。1年間は必ずしも一月場所から十一月場所とは限らな
い。休場は不戦敗を含む。また出場停止・コロナ部屋ごと休場は休
場扱いから除外した。対象は、前者が朝青龍、後者が白鵬である。
14位 3若乃花59休(平成11年3月~12年1月)
3代目若乃花は横綱在位11場所と短命だった。弟貴乃花が体を大き
くしたが、3代目若乃花は最後まで小兵だった。それでも1年間で
59休を記録している。全休が3場所ある。平成12年三月場所限りで
引退した。
13位 大鵬60休(昭和42年9月~43年7月)
大鵬は5場所連続休場し、力士人生最大のピンチだった。巡業では
土にまみれて稽古した。出場した昭和43年九月場所2日目から実質
(誤審を訂正すると)48連勝+αを達成した。
12位 白鵬61休(令和2年7月~3年5月)
令和3年一月場所はコロナ部屋ごと休場のためカウントしていない。
つまり61休場は5場所の数字である。令和3年五月場所はひざのリ
ハリビによる全休だった。翌七月場所、最後の優勝を全勝で飾った。
九月場所は再びコロナ部屋ごと休場になり、場所後引退した。
11位 栃ノ海62休(昭和40年11月~41年9月)
栃ノ海は技がうまく、小兵名人だった。その反面力強さに欠け、負
けるときはもろかった。栃ノ海は弱いなあというぼやきはあった。
椎間板ヘルニアの再発と右上腕膜筋肉断裂のケガで満足いく土俵が
務められなくなった。休場あけの場所で引退した。まだ28歳だった。
(この項目続く)