2024年は366日ありました。そのうち365日執筆してきました。本場
所のないときでも農閑期はありません。話題性や問題点を探ります。
ときには思わぬ記録に時間をかけて調査しました。
今年、年間最多勝レースは人気がありました。番付では幕内体重番
付、私製番付もPVの数値が高かったです。本場所では七月場所千秋
楽の決めるべきところで連敗した照ノ富士が注目を集めました。記
録調査で苦労した点は1場所2度以上休場した力士でした。
1年間観戦し、観戦レポートをお届けできたことも成果でした。十
一月場所はホテルがままならず、4つのホテルを移動しました。番
外戦の苦労がありました。こんなケースは初めてでした。それでな
くても中洲から福岡国際センターまでは17分くらい歩かなければな
りません。来年はそういうことがないようにと反省しました。
土俵の目撃者は協会発表を鵜呑みにしない姿勢です。歴次横綱は陣
幕作成をそのまま使用していますが、始祖から3人目は疑問視され
ています。また横綱の土俵入りの型は雲竜型、不知火型の名称を使
いますが、雲竜と不知火がどんな土俵入りをしたかは伝わっていま
せん。これを言い出したのは相撲評論家の彦山光三氏です。それも
1枚の錦絵を根拠としました。伸ばした手は攻めを、曲げた手は守
りを表すというのは元笠置山の創作です。
横綱昇進基準は2場所連続優勝が一人歩きし過ぎています。たった
3カ月で横綱が決められる危うさが潜んでいます。ここからは常勝、
安定性がみえてきません。品格力量抜群が忘れ去られています。品
格はともかく力量抜群の横綱は時代を築けるほどの力量です。
優勝制度は大正15年からが公式です。これによって不戦勝不戦敗制
度、取り直し制度が始まりました。国技館開設から大正14年までは
時事新報社による幕内最高成績の力士の写真額を国技館に掲げる制
度です。対戦相手が休めば自分も休み扱いになりました。また、引
き分け・預かり・無勝負が多く、とても優勝を争う環境ではありま
せんでした。時事新報社の制度に当時の相撲ファンの関心は薄かっ
たのです。
昨年に引き続き、今年も相撲趣味の会にオブザーバーとして参加さ
せていただきました。大いに刺激を受けながら学ぶところがありま
す。来たる一月場所一緒に観戦する方がいます。また、佐渡ヶ嶽部
屋で出会った方との交友が始まった年でした。来年の五月場所はと
もに観戦します。
今年1年ご愛読本当にありがとうございました。