前述した廣瀬川から10年経過して1場所2度休場した力士が現れた。
昭和37年三月場所 前3鶴ヶ嶺
●●■ややややや○●■やややや
幕内在位77場所最高位関脇だった。逆鉾・寺尾の父であり、師匠で
あった。入幕してから1度だけ十両に落ちたが、約14年に渡って幕
内を務めた。引退した千秋楽の不戦敗を含め、休場は3不戦敗11休
だけだった。
昭和44年三月場所 前12花田
●■やややや●●●●●■ややや
後の貴ノ花である。入幕3場所目であった。師匠であり、兄である
初代若乃花とは約22歳の開きがあった。角界のプリンスと呼ばれ、
めきめき頭角を表してきた。大関を50場所務めた。貴乃花・3代目
若乃花の父であり、師匠であった。幕内在位70場所、最高位大関で
あった。
昭和45年三月場所 十3花光
ややややややや●●●●■ややや
幕内在位25場所、最高位前頭3枚目だった。横綱柏戸から金星をあ
げたことがある。
昭和46年九月場所 前11増位山
ややややや●○●●■ややややや
大関先代増位山の息子であり、弟子である。親子であっても取り口
はまるで違っていた。父増位山は頭で当たり、押し込んで激しく突
っ張る相撲だった。これに対し、息子の増位山は立ち合い手をだし、
相手をけん制してから四つになる相撲であった。引きずるような上
手投げが特徴だった。大関を期待される力士ではなかったが、ワン
チャンスをモノにした。幕内在位59場所、そのうち大関在位はわず
か6場所だった。
昭和52年五月場所 前9琴乃富士
○●○○○●○●■やや●■やや
幕内在位12場所、最高位前頭5枚目だった。大型力士として期待さ
れたが、大成できなかった。
昭和63年五月場所 前筆頭益荒雄
○○●●■やややや●●■ややや
幕内在位20場所、最高位関脇であった。白いウルフと呼ばれ活躍し
た。1場所で横綱千代の富士・双羽黒、3大関を倒したことがある。
十両優勝最多5回の記録を持っている。
平成4年三月場所 小結若花田
●●●●●■やややや●●●■や
後の3代目若乃花である。貴ノ花の長男である。親子2代に渡って
1場所2度休場している。1勝もできなかった点も共通している。
小兵で相撲巧者だった。父を超えて横綱に昇進した。
(この項目続く)