引き続き1場所2度以上休場した力士をみていこう。前回大正2年
をとばしたため改めて記したい。
大正2年春場所 前14寒玉子
ややややや●○引き分けやや
変わった四股名として記憶されている方がいるかもしれない。幕内
在位9場所、最高位前頭9枚目であった。幕内と十両を往復した。
なお、同場所前9玉手山
引き分け●○○引き分け預相手休場●●やや
相手休場は自己都合による「や」ではないため、実質1度の休場に
なる。
大正2年夏場所 前13山田川
やややや●●○預やや
新入幕の場所であった。幕内はこの1場所である。四股名は本名か
らきている。
もう一人いる。張出前頭浪ノ音
預ややや●●やややや
初代高砂の弟子。入幕3場所目小結で大関荒岩を破っている。幕内
在位16場所で、最高位関脇であった。
大正3年夏場所 前13陣立
●●ややや●○○やや
入幕2場所目に大関駒ヶ嶽に足取りで勝っている。幕内在位11場所
で最高位前頭6枚目だった。
この場所もう一人出た。
大正3年夏場所 番付外國ヶ岩
や○相手休場●●●やややや
京都相撲からの移籍力士。このときすでに39歳で大成しなかった。
大正4年春場所 張出大関朝潮
ややややや引き分け●ややや
2代目朝潮である。明治40年春場所、新入幕のときは朝嵐の四股名
だった。この名で7場所務めている。新関脇のとき、朝汐に改名し
ている。4場所この名で通し、以後15場所は朝潮で通した。大関は
10場所だが、フル出場はわずか1場所しかなかった。全休が2場所、
途中休場・途中出場が7場所ある。
この場所もう一人いる。
前10柏戸
ややややや○●ややや
柏戸は10人いる。この柏戸は明治から大正にかけて現役だった柏戸
である。入幕と同時に柏戸となりなおかつ二枚鑑札となった。幕内
在位16場所、最高位小結であった。
(この項目続く)