大相撲

大相撲の因習と近代化

今物言いはビデオを参考にしている。だから物言い
がついても勝負結果を間違うことはなかった。これ
しか見てこなかった相撲ファンにはこれが当たり前
に映る。しかし、ビデオを参考にする以前は違って
いた。

<物言い>

ビデオを参考にし始めたのは昭和44年五月場所から
である。その前場所に大鵬の連勝記録が誤審でスト
ップするという歴史的汚点があった。審判はいうま
でもなく、どこかの一門に所属している。ビデオ参
考以前、物言いは一門の利益代表としてつけていた。
これが当たり前であった。今の相撲ファンには信じ
られない話である。

相撲を見始めた幼少期からずっと続いていた因習が
あった。出羽海部屋は分家独立を許さないという不
文律があった。これは元横綱常陸山の出羽ノ海のあ
とを継いだ元両國(前名国岩)から始まった。元常
陸山の出羽ノ海のとき、栃木山は分家の許諾を得て
いる。これが今につながる春日野部屋であった。

それでも独立して破門になった親方がいた。元両國
(前名松ヶ崎)の武隈部屋である。分家独立を奨励
した元玉ノ海は「出羽海の分家独立を許さずの不文
律ほど前近代的なけしからんものはない。親方全員
にある弟子養成の権利を奪うものである」と非難し
ていた。

<千代の山のブロマイド>

分家独立が大事(おおごと)となったのが元千代の
山の九重のときである。元出羽ノ花の出羽海の元で
おきた。佐田の山を娘婿にし、将来出羽海を継ぐ路
線が固められたのである。これで元千代の山が出羽
海になる目はなくなった。同時に出羽海部屋での立
場も失った。九重は北の富士、松前山などを連れて
破門独立した。

元佐田の山の出羽海の代になって分家独立が可能に
なった。三重ノ海が武蔵川部屋をおこした。のちに
両国(前名小林山)が境川部屋をおこしている。分
家の春日野部屋も舛田山・栃司が独立している。

今因習として残っているのは理事選であろう。年寄
だけでなく、関取、幕内行司による自由投票ができ
る日はくるのだろうか。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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