大相撲

差がありすぎる横綱

横綱は相撲界の最高位である。横綱が実質地位とな
ったのは常陸山以降である。しかし、横綱ほど実力
差が激しい地位はない。年6場所制でも横綱優勝回
数は白鵬の42回から横綱優勝0迄ある。横綱優勝0
は横綱失格であろう。横綱優勝1回や2回はいいか
というとそうも言えない。

<綱の重み>

弱い横綱が誕生する背景は何か。品格力量抜群でな
い者が横綱になるからである。興行上実に多くの横
綱を誕生させた。鏡里・吉葉山のころはよく誕生し
た。あわや5横綱になろうとした時期があった。

そういう意味で横綱審議委員会は機能しているとは
いえない。もともと横綱がくずれたとき、世論の防
波堤として誕生している。そして横綱昇進の規定は
時間とともに緩くなっていった。朝潮のとき全会一
致が3文の2に変更された。

昭和・平成の横綱ベスト10は誰か。
1.時代を築いた横綱
2.相撲に対する真剣度
3.実績
以上を基準委選んだ横綱が以下である。

<双葉山のブロマイド>

1位 双葉山  
2位 白鵬   
3位 大鵬   
4位 貴乃花  
5位 玉錦   
6位 北の湖  
7位 千代の富士
8位初若乃花  
   栃錦  
9位    
10位 朝青龍 
これなら横綱中の横綱である。

今横綱は照ノ富士一人である。その照ノ富士も終焉
が近づいている。出場がままならない。大関は決め
手を欠いている。だからといって甘い横綱昇進は歓
迎しない。次の横綱は強く優勝10回できるレベルを
望まずにはいられない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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