大相撲

美ノ海の出世街道

美ノ海こと木崎少年は5歳から相撲を始めた。根っ
からの相撲少年であった。相撲を生かすべく名門城
北高校、日大に進学している。その後木瀬(元肥後
ノ海)部屋に入門した。十両まで上がりながら慢性
的な首の痛みで引退した木崎海は弟である。

木崎の四股名で土俵にあがった。相撲の下地があっ
たので序ノ口、序二段、三段目を各1場所で通過し
ている。序二段、三段目で優勝している。3場所20
勝1敗の成績だった。幕下在位は10場所であった。
41勝29敗の成績だった。

<三段目優勝>

この幕下時代に阿炎、若元春、大翔鵬、若隆景、一
山本、湘南乃海と対戦している。勝敗は以下である。
阿炎 0勝2敗
若元春 1勝1敗
大翔鵬 1勝1敗
若隆景 1勝1敗
一山本 1勝1敗
湘南乃海 0勝1敗

序ノ口から2年1場所で十両に昇進した。四股名を
美ノ海に改めた。しかし、新十両では5勝10敗と大
敗した。1場所で幕下落ちとなった。

幕下では4場所かかって十両に戻った。幕下優勝を
している。一山本に2勝、納谷(王鵬)に1勝1敗、
湘南乃海に1勝している。

<幕下納谷(王鵬)(右)に勝って幕下優勝>

再十両はまたしても5勝10敗であった。美ノ海は十
両では通用しなかった。再び幕下落ちとなった。今
度は3場所かかった。翠富士に1勝している。

3度目の十両入りとなった。今度は8場所維持した。
成績は53勝66敗1休であった。3度目の幕下落ちで
あった。

1場所で戻ってきたが、もはやエレベーター状態で
あった。このとき平戸海と対戦して1敗している。

<4度目の十両>

4度目の十両は定着した。しかし、成績はあがらな
かった。96勝99敗と負け越しながら入幕を決めた。
幕内で果たして通用するのか懸念がある。

178センチ 148キロ 30歳
左四つ寄りが得意 沖縄出身5人目の幕内力士

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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