大相撲

思いもよらない優勝

優勝は様々なドラマを生み出すことがある。同時に
思いもよらない優勝も生み出すこともある。大正15
年に始まった優勝制度は今年の十一月場所で485場
所を迎える。その間思いもよらない優勝が以下であ
る。

■突然東西制から系統別総当たり制に

昭和7年春場所、春秋園事件で大量の離脱力士を出
した。協会は十両・幕下を繰り上げたが、人員不足
で従来の東西制を行うのは不可能であった。そこで
系統別総あたり制を行うことにした。2月に行われ
た場所で優勝したのが関脇清水川であった。大関玉
錦に勝って8戦全勝で初優勝した。

<清水川のブロマイド>

■休場力士が優勝

昭和48年九月場所、横綱2場所目の輪島は全勝優勝
した。勢いは止まらず、翌場所も勝ち続け27連勝し
た。ところが、27連勝目で思いがけないことがおき
た。大関貴ノ花戦で指の間を裂傷してしまった。

翌日13日目の北の富士戦は相撲にならず、敗れてい
る。ところがほかに3敗力士がいなくなると輪島は
14日目から休場してしまった。14日目不戦敗、千秋
楽休場で優勝した。成績は12勝2敗1休であった。

<輪島>

実は、こうした例は横綱千代の富士にもある。平成
元年三月場所、千代の富士は初日から13連勝した。
14日目に横綱大乃国と対戦した。重量級大乃国にて
こずりながらも最後上手投げでしとめた。だが、こ
のとき脱臼した。苦痛に顔がゆがんだ千代の富士。
千秋楽の大関旭富士戦を休場した。

■九重部屋10連覇

昭和60年九月場所から昭和62年三月場所まで九重
(元北の富士)部屋が10連覇している。横綱千代の
富士が8回、保志=北勝海が2回である。保志のと
きが関脇、北勝海のときは大関だった。大正6年春
場所から大正10年夏場所における出羽ノ海(元常陸
山)部屋が10場所連続優勝したという説がある。だ
が当時優勝制度はなかった。対戦相手が休場したら
自分も「や」がつく時代であった。不戦勝制度、取
り直し制度はなかった。

■外国出身力士9年5場所連続優勝

外国出身力士による10年弱優勝が続いた時期があっ
た。平成18年三月場所から始まった。朝青龍、白鵬
を中心に日馬富士・鶴竜が加わった。ほかに、大関
琴欧州・把瑠都・照ノ富士なども入っている。大関
琴奨菊によって記録は終止符が打たれた。このあと
大相撲のチケットは過熱していった。

<朝青龍>

■一月場所連続初優勝

平成28年一月場所、大関琴奨菊が初優勝すると、一
月場所は初優勝が続いた

大関 琴奨菊
大関 稀勢の里
平幕 栃ノ心
関脇 玉鷲
幕尻 徳勝龍
平幕 大栄翔

6年間で令和3年まで続いた。偶然だろうが珍しい
ケースであった。

<琴奨菊>

■関脇以下3回優勝

この記録をもつのは御嶽海である。最初の優勝と2
回目の優勝は大関昇進に結びつけられなかった。3
回目関脇で優勝して大関昇進を決めた。だが、大関
は短命で終わった。

思いがけない優勝だが、中には破るのが難しい記録
が多い。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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