大相撲

四股名の大元 玉

頭に玉をつける部屋は片男波部屋である。現役関取
では玉鷲、玉正凰がいる。片男波部屋の創設者は玉
乃海代太郎である。

黄金のまわしで昭和32年十一月場所優勝している。
もっとも横綱・大関戦は一番もなかったが。その玉
乃海はニ所ノ関(元佐賀ノ花)に所属していたが、
将来は独立の意志があった。そのため内弟子には玉
のつく四股名をつけていた。

<玉乃海のブロマイド>

昭和36年一月場所後玉乃海は引退した。5月に片男
波部屋をおこし、内弟子の移籍を申し出た。ところ
がニ所ノ関は1年まってくれという返事だった。

当時取締は4人だったが規定は5人だった。ニ所ノ
関は5人目の取締を狙う上で勢力の分散はまずいと
いう考えだった。だが結局は失敗した。1年後片男
波が約束の履行をせまると、ニ所ノ関は玉乃島のち
の玉の海ら4人は2年後までまってくれと返答した
ため、お家騒動になった。

<佐賀ノ花のブロマイド>

玉がつく四股名は内弟子のしるしだった。片男波部
屋は玉乃海-玉ノ富士-玉春日と引き継がれたが、
その間の頭に玉のつく幕内力士は以下である。

玉嵐
玉の海
玉輝山
玉ノ富士
玉龍
玉春日
玉乃島
玉海力
玉飛鳥
玉力道
玉鷲

玉響は移籍が遅れ、結局ニ所ノ関部屋のまま昭和37
年九月場所で現役を終えた。頭に玉のつく大元は一
代でニ所ノ関部屋を大きくした玉錦である。玉のル
ーツである。ニ所ノ関部屋からはほかに3人出てい
る。

<玉錦のブロマイド>

玉ノ海
玉櫻
玉乃海

NHKの解説者だった玉の海さんは、現役の玉ノ海当
時こういわれた。「玉ノ海という名は玉錦の玉と玉
錦の師匠海山の海から取ったのでしょう」玉ノ海は
そんな見方があることに意外な感を受けたという。

なお、玉錦以前に頭に玉がつく主な力士を最後にあ
げておく。
玉椿
玉手山
玉ノ川
玉碇

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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