大相撲

霧島の蹉跌

新大関の場所、霧島は4日目から途中出場した。肋
骨を痛めて初日不戦敗となったが、きわめて珍しい
ケースとなった。人によっては12勝1敗2休で霧島
の優勝という見方をしていた。

しかし、霧島は万全ではなかった。小兵の翔猿・
翠富士にはくい下がられて敗北。御嶽海・朝乃山
には力負けした。

<七月場所、翔猿に苦杯>

この結果、霧島は6勝しかできず、いきなり角番
を迎えた。新大関で負け越した力士はほかにもい
る。昭和以降では以下である。

小野川 全休
男女ノ川5勝6敗
五ッ嶋 5勝5敗5休
佐賀ノ花3敗7休
松登 5勝10敗
豊山 7勝8敗
前乃山全休
大受 2勝6敗7休
増位山3勝5敗7休
千代大海3勝8敗4休
武双山全休
雅山 6勝9敗
栃ノ心5勝2敗8休
貴景勝3勝4敗8休
正代 3勝2敗10休

この中で横綱になったのは男女ノ川だけである。
その男女ノ川も横綱としては物足りない存在であ
った。これが霧島の行く末を暗示していなければ
いいが。

<男女ノ川のブロマイド>

霧島だけでなく貴景勝も角番である。大関の数は
増えたけど頼りにならない存在であってはいけな
い。大関は協会の看板であり、特別待遇を受けて
いる存在であることを忘れないようにしていただ
きたい。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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