新大関の場所、霧島は4日目から途中出場した。肋
骨を痛めて初日不戦敗となったが、きわめて珍しい
ケースとなった。人によっては12勝1敗2休で霧島
の優勝という見方をしていた。
しかし、霧島は万全ではなかった。小兵の翔猿・
翠富士にはくい下がられて敗北。御嶽海・朝乃山
には力負けした。
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この結果、霧島は6勝しかできず、いきなり角番
を迎えた。新大関で負け越した力士はほかにもい
る。昭和以降では以下である。
小野川 全休
男女ノ川5勝6敗
五ッ嶋 5勝5敗5休
佐賀ノ花3敗7休
松登 5勝10敗
豊山 7勝8敗
前乃山全休
大受 2勝6敗7休
増位山3勝5敗7休
千代大海3勝8敗4休
武双山全休
雅山 6勝9敗
栃ノ心5勝2敗8休
貴景勝3勝4敗8休
正代 3勝2敗10休
この中で横綱になったのは男女ノ川だけである。
その男女ノ川も横綱としては物足りない存在であ
った。これが霧島の行く末を暗示していなければ
いいが。
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霧島だけでなく貴景勝も角番である。大関の数は
増えたけど頼りにならない存在であってはいけな
い。大関は協会の看板であり、特別待遇を受けて
いる存在であることを忘れないようにしていただ
きたい。