大相撲

土俵が揺れた日

2023年4月25日

大相撲の土俵は15尺である。出たら負けになるとい
う格闘技はほかにない。ほとんどの格闘技は組むか
離れて戦うかのどちらかである。ところが相撲は土
俵があるからどちらも兼ねる珍しい特徴をもつ。

15尺土俵に変わったのは昭和6年であった。きっか
けは4月29日の天皇誕生日に天覧相撲を奉仕したこ
とである。天皇陛下に十分な土俵の攻防を楽しんで
いただこうという趣旨であった。それまでは13尺土
俵であった。

<土俵>

力士にとまどいはあったものの、本場所ではその直
後の昭和6年夏場所から15尺土俵が使用されるよう
になった。しかし、もっと激しく土俵が揺れた日が
あった。戦後、昭和20年秋場所(11月)であった。
進駐軍の土俵が広いほうが面白いという声が協会に
入り、この場所16尺土俵にしたのである。食糧事情
が悪く、やせた力士からは突然のことに大いに驚い
た。試しということでやむなく受け入れざるを得な
かった。

<双葉山のブロマイド>

この場所、双葉山は全休であったが、千秋楽の翌日
引退している。これは16尺土俵に対する抗議とみら
れた。双葉山は次のような趣旨を述べている。
1.興味本位で土俵を広げるなら勝負は長引くかもし
れない
2.レスリングやボクシングと対戦すればもっと面白
くなる
3.猛牛とやらせたらもうかること請け合い

<昭和20年秋場所優勝の羽黒山
のブロマイド>

さらに双葉山はこう語っている。狭い土俵で鍛錬し、
研究し、妙技を競うことこそ相撲道の第一歩、と。
16尺土俵は1場所で終わった。突き押しの力士の不
利は解消された。そして現在に脈々と続いている。

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.