大相撲

5人の朝潮 下

4代目朝潮
新入幕 昭和26年春場所
引退  昭和37年一月場所前
幕内在位51場所
最高位 横綱
大関在位11場所
横綱在位16場所

今も昔も期待される力士はいる。だが、戦後最大限
期待された力士が朝潮である。190センチ150キロの
堂々たる巨体で仁王像のようであった。戦後は100
キロそこそこの幕内力士のなかではひときわ目立つ
存在だった。

<4代目朝潮のブロマイド>

強いときの朝潮はめっぽう強かった。相撲巧者若瀬
川はこう語っている。「千代の山に突き倒されて尻
もちをついたことがありました。朝潮には突き倒さ
れて尻もちをついてから1メートルくらい尻がすべ
りましたよ」

強い反面、弱い朝潮も同居していた。これが朝潮の
大成を阻んでいた。横綱になったから期待に応えた
かというと、そうは言えなかった。横綱2場所目か
ら3場所連続全休。横綱優勝は横綱12場所目。わず
か1回で終わっている。

5代目朝潮
新入幕 昭和53年十一場所
引退  平成元年三月場所
幕内在位63場所
最高位 大関
大関在位36場所

2年連続学生横綱を引き下げて高砂(元4代朝潮)
部屋に入門した。幕下最下位付け出しでデビューす
ると幕下2場所、十両2場所で入幕した。入幕2場
所目に敢闘賞を受賞した。3場所目に上位に上がっ
ている。

三賞の常連で27場所間に14回受賞している。内訳は
殊勲賞10回、敢闘賞3回、技能賞1回であった。横
綱北の湖には強く、不戦勝をいれて13勝7敗の成績
だった。

<5代目朝潮>

朝潮には珍記録がある。小結・関脇時代に3度優勝
決定戦に出場して3度とも負けている。横綱千代の
富士に2敗、大関琴風に1敗している。1、2度目
の優勝決定戦では大関昇進に生かせなかった。3度
目の優勝決定戦を生かし、翌場所12勝で大関を決定
的にした。

大関昇進後12場所目、大関若嶋津との12勝2敗の相
星決戦を制し、唯一の優勝をモノにした。その後は
2場所2ケタ勝利があるだけで、8勝・9勝が19場
所、負け越し2場所後引退した。最後は18場所連続
1ケタ勝利だった。

(この項目終わり) 

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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