幕内で50回以上対戦するのは大変なことである。地
位が接近し、なおかつ休場が少ないと実現しにくい。
大鵬には幕内対戦50回以上はなかった。柏戸戦が優
勝決定戦を含み22勝16敗だった。北の富士には幕内
対戦50回以上が2人いる。
まず清國である。清國が入幕した時期が昭和38年十
一月場所である。清國は大鵬と同期である。北の富
士は翌場所の昭和39年一月場所が新入幕である。前
場所十両で15戦全勝して入幕を決めた。十両の15戦
全勝優勝は栃光、豊山についで史上3人目であった。
昭和39年一月場所が最初の一番となった。押し倒し
で清國が勝っている。この場所清國は14勝1敗、北
の富士は13勝2敗で大健闘した場所であった。優勝
は横綱大鵬が15戦全勝で12回目であった。。
北の富士対清國は初顔から19場所連続対戦した。こ
の間北の富士は大関に昇進している。関脇以下の対
戦同士は北の富士の11勝5敗であった。昭和42年三
月場所は対戦がなかったが、その後28場所連続対戦
している。
大関北の富士対関脇以下清國は北の富士の12勝4敗
で終わっている。大関同士の対戦は北の富士の3勝
1敗であった。清國が新大関優勝するとのんびりや
の北の富士に火がついた。北の富士は連続優勝で横
綱に昇進した。横綱北の富士対大関清國は、北の富
士の11勝5敗で、最後の一番は昭和48年五月場所で
あった。
2人の対戦は互いにすれ違い休場をするなか、昭和
49年一月場所、清國の引退で永遠に終止符をうった。
北の富士はその3場所後に引退した。対戦成績は、
北の富士の37勝15敗で対戦は実に52回に及んだ。