大相撲

横綱の連続休場3

王者大鵬を襲ったピンチがある。左ひじの負傷、さら
に左ひざ靭帯断裂のケガをおったのである。そのため
大鵬は5場所連続休場となった。そのとき57連続休場
に陥った。朝潮の45連続休場を破る結果となった。
昭和43年七月場所のことであった。

<大鵬>

出場した昭和43年九月場所初日栃東に敗れて不安な
スタートとなった。だが、大鵬は不死鳥でもあった。
そのあと45連勝を達成したのである。連勝はしかも
誤審でストップしたため、歴史に汚点を残す結果と
なった。それさえなければ何連勝したことか。

栃ノ海は栃錦以上にうまいとされた力士であった。
両前褌をとって拝むように寄った。また出し投げの
切れは鋭かった。だが、そんな栃ノ海も椎間板ヘル
ニアの再発と右上腕筋肉断裂で休場がちになった。
47連続休場の翌場所昭和41年十一月場所引退した。
まだ28歳であった。

<栃ノ海>

昭和40年一月場所から部屋別総あたり制が始まった。
その場所優勝して佐田の山の横綱昇進が決定した。
佐田の山は横綱6場所目から3場所連続休場をして
いる。そのとき21連続休場をしている。それ以降横綱
休場はなく、2連覇の翌場所突然引退している。

<佐田ノ山>

玉の海亡き後2場所目の昭和47年から4場所連続乱調
だったのが北の富士である。このとき22連続休場して
いる。さらに、昭和48年七月場所の優勝同点以後は
急速に力が衰え、37連続休場し、翌場所の昭和49年
七月場所引退している。

<北の富士>

玉の海は現役で亡くなったこともあり、横綱休場は
ゼロだった。琴櫻は短命だったこともあり、2場所
にまたがる連続休場はなかった。

学生出身唯一の横綱輪島は天才であった。玉の海梅吉
氏は「すり足、あごがあがらない、腰を落として攻め
る。大胆ななかに緻密さがある」と語る。大鵬は「攻
撃から防御、防御から攻撃にリズムがある。輪島の
強さのポイントは腰の中心点に寸分のくるいもない
ことだ。投げを打つときの体の開きは天才的だ」と
絶賛である。そんな輪島に優勝7回目以降に3場所
連続休場がある。このとき28連続休場している。

<輪島>

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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