秋巡業が始まった。照ノ富士は相撲を取らず土俵入り
だけだったという。ひざの状況から十一月場所は休場
するのではという見方がでている。全休すると21連続
休場になる(不戦敗含む)。横綱は出場する以上万全
でなければならない難しさがある。そこで横綱の連続
休場について調査してみた。対象は実質横綱が地位化
した常陸山以降の東京横綱である。
常陸山・2代目梅ヶ谷は、連続休場はあっても2場所
にまたがる連続休場はない。休場後序盤までは出場
している。2場所にまたがる休場は太刀山が初であ
る。2場所連続全休の20連続休場だった。これを最後
に引退しているから晩年のできごとだった。太刀山
39歳から40歳のときのことである。
これを更新したのが2代目西ノ海であった。2代目
西ノ海は横綱としてほとんど好成績を残せなかった。
最後の3場所で27連続休場して引退した。3代目西ノ
海は横綱で幕内最高成績が1回あるが、不成績が多か
った。3場所全休を含み4場所35連続休場で引退し
た。37歳だった。
武蔵山は横綱に昇進後は休場が多く、フル出場は1
場所しかない。横綱休場率は70%である。昭和6年
10月場所沖ツ海戦で破壊された右腕が悪化したのが
響いた。1場所途中休場(不戦敗含む)と3場所全休
で39連続休場とワースト記録を更新した。
横綱中の大横綱双葉山の連続休場は16連続休場であ
る。引退直前の2場所のことである。羽黒山は双葉山
引退後の相撲界を支えてきた。戦後食糧事情が悪く、
本場所開催が容易でなかった時期を支えてきた。昭和
23年4月の巡業でアキレス腱断裂によって休場を余儀
なくされた。このとき3場所連続全休し、35連続休場
している。
(この項目続く)