大相撲

名古屋場所優勝物語 栃錦

栃錦の優勝は10回ある。そのうち全勝優勝は1回で、
昭和34年名古屋場所で実現している。栃錦9回目の
優勝であった。ところが喜びの全勝優勝となるはずが
一転悲しみの全勝優勝となった。栃錦を思いもよらぬ
悲劇が突然襲った。そのいきさつはこうだ。

名古屋場所の優勝争いは栃錦が初日前頭5枚目北の洋
に勝って連戦連勝。当時横綱と小結が初日に対戦する
慣習はなかった。もう一人の横綱若乃花も初日前頭
2枚目時津山が対戦相手であった。朝汐は横綱2場所
目であったが、全休であった。この場所の優勝争いは
栃錦が14日目全勝で決めた。

<栃錦のブロマイド>

栃錦の父大塚夏五郎氏は栃錦優勝の報に触れ、名古屋
の祝賀会に出席しようとしていた。そために小岩の
自宅をでたところオート三輪にはねられ、頭を強打
した。時、午後10時5分であった。日にちが変わった
午前1時8分、栃錦の父は帰らぬ人となった。

悲報に接した栃錦は「優勝を知って亡くなったのが
せめてものなぐさめだった」と語っている。協会役員
や千代の山にお悔やみをいわれるなか、全勝をかけて
千秋楽の若乃花戦に臨んだ。土俵にあがった栃錦は
形相鋭く、別人のようだった。相撲は、左肩からあた
る若乃花を右からおっつけ、はず押し一気の出足で
初の全勝優勝を達成した。

<栃錦のブロマイド>

名古屋から帰京した栃錦は霊前の父に全勝優勝を報告
した。その写真を目にするとどうしても悲痛な印象は
避けられなかった。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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