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名古屋場所が揺れた日

6月から暑い日が続くなかで迎えようとしている名古
屋場所。名古屋場所が定着したのは昭和33年からで
会場は金山体育館であった。南洋場所といわれるほど
の暑さの中での開催だった。今の愛知県体育館は昭和
40年からであった。令和2年はコロナ禍で東京開催と
なったが、愛知県体育館では今年で57回開催される
ことになる。そんな名古屋場所が揺れたことがあっ
た。

新弟子暴行死というショッキングな事件が名古屋場所
前に起きた。亡くなった力士の名は時津風部屋の時太
山である。事件のいきさつはこうだ。17歳の時太山は
稽古や人間関係に悩み、脱走することがよくあった。
しかし、父親に説得され、やむなく部屋に戻っていた。
「僕いい子になるから」と実家に帰ることを懇願した
こともあった。

<時太山>

元双津竜の時津風はそんな新弟子に業を煮やした。
2007年6月26日、時太山を名古屋宿舎の稽古場でしご
いた。ぶつかり稽古を30分やらせるなど尋常でなかっ
た。親方自らがビール瓶でなぐり、幕下の3人の兄弟
子が金属バットで殴打するなど凄惨を極めた稽古と
なった。関取はこの日力士会のため誰もいなかった。
意識を失った時太山は病院に運ばれたが、1時間後に
帰らぬ人となっていた。名古屋場所を前にしてけして
あってはならない事件を起こしてしまった。

<時津風部屋の前におかれたビール瓶と金属バット>

始まりは2010年五月場所中、週刊誌が報じた野球賭博
であった。「大関琴光喜」が「口止め料1億円」と
脅迫されたと見出しに出された。記事によるとこうで
あった。
・5年前から手を染めていた
・負け金が数千万円になる
・口止め料として暴力団が1億円を要求
・複数の親方も関係していた 

<野球賭博を報じるスポーツ報知>

琴光喜は当初否定していた。ところが調査していくと
出るは出るはで収拾がつかなくなった。琴光喜と大獄
(元貴闘力)親方が悪質で解雇。10力士は1場所謹慎
となった。また、五月場所後に明るみに出たのが、
暴力団へ流した溜席チケット問題だった。事件がおき
たときは、まず、清見潟(元大竜川)と木瀬(元肥後
ノ海)が関与したとして処分がくだった。

名古屋場所、NHK放送はなく、ハイライトのみであっ
た。老人ホームは楽しみを失った。協会挨拶は村山
理事長代行がおこなった。優勝白鵬の表彰は優勝旗
のみであった。白鵬は「この国の横綱として、力士の
代表として、天皇賜杯はいただけたらなとつくづく
思う」とつらい心情を吐露している。

<表彰なき優勝の白鵬>

2011年一月場所後に八百長が発覚した。野球賭博で
没収した携帯電話で削除したメールを復元したところ
八百長の事実が明るみになった。そのため、三月場所
は中止。関わった力士は処分された。五月は技量審査
場所として無料開催することになった。迎えた本場所
が名古屋場所だった。八百長処分により、幕内7人・
十両10人が欠けるなかでの番付は大幅昇進あり、負け
越しての昇進ありで、かなり番付の原則を踏み外した
ものになった。

<技量審査場所で優勝した白鵬 旗手魁聖>

野球賭博の影響でガラガラだった前年以上に入りが
悪かった。観客の不入りの原因はお客さんが大相撲を
見放しているように思えた。相手の奥さんや子供の
顔が見えてと片八百長を容認するような発言をした
解説者がいた。認識の低さに愕然とした。片八百長を
やる力士はプロを辞めたほうがいい。そこには入場料
を払って見に来るファンへの裏切りであることをなん
とも思っていない。

<2011年7月の客席>

また、八百長力士と認定され、2年間の裁判でそう
いう事実はないと土俵に復帰したのが蒼国来である。
復帰は2013年の名古屋場所であったことを付記して
おく。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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