大相撲

荒篤山の出世街道

荒篤山が入幕を果たした。苦節約12年という
から大変な辛抱の相撲人生だった。荒篤山は
いったいどのような出世街道を歩んできたの
か。振り返ってみた。

<荒篤山>

荒篤山は本名を寺井ジャスパー ケネスという。
出生地はフィリピンである。御嶽海や高安
同様母親はフィリピン人である。12歳まで
フィリピンで生活していた。日本では横浜の
中学で学んだ。

相撲の経験はなかったが、父のすすめで大相
撲の道へはいった。相撲部屋に打診したが、
いち早く丁寧な対応だった荒汐(元大豊)
部屋に入門することになった。日本国籍を
取得するため、卒業から半年後に前相撲を
取った。寺井の四股名で前相撲の土俵にあが
った。翌場所から荒篤山に改名した。

序ノ口は4勝3敗と勝ち越した。翌場所序二
段にあがったが、そこからは亀の歩みであっ
た。

2010年 22勝20敗
2011年 18勝17敗
この年1場所中止がある。
序二段から三段目に昇進している。
2012年 22勝20敗
2013年 21勝21敗
2014年 22勝20敗
十一月場所幕下にあがる。

<2018年11月琴鎌谷戦で勝利>

2015年 23勝19敗
2016年 21勝16敗5休
この時期は幕下と三段目を行き来していた。
2017年から幕下に定着した。
2017年 24勝18敗
幕下以下で最高の年間成績となった。
この年の十一月場所、霧馬山と対戦したが
敗れている。
2018年 22勝20敗
この年琴鎌谷(のちの琴ノ若)と3度対戦
して3勝している。

2019年 21勝21敗
この年は霧馬山に勝ったものの隆の勝、琴手
計(のちの琴勝峰)、照ノ富士に負けている。
2020年 19勝16敗
新型コロナウイルスで1場所中止があった。
この年一山本と対戦したが敗れている。

<2019年11月照ノ富士戦>

2021年長い下積み生活を抜け、ついに十両
昇進を決めた。68場所、248勝216敗12休で
あった。休場には部屋ごと休場があり、この
場合番付は現状のままであった。実質〇27で
十両入りであった。

<新十両>

しかし、新十両では4勝11敗と跳ね返された。
1場所で十両に戻ってきたが、ここからが
すごかった。11勝と大きく番付をあげて一月
場所は十両西4枚目に位置した。その一月
場所は千秋楽を迎えて9勝5敗であった。
対戦相手は幕内西16枚目6勝8敗の剣翔で
あった。勝ったほうが幕内の入れ替え戦で
あった。この一番、荒篤山がなんとか突き
落としで勝って入幕を決めた。幕下以下の
長い相撲人生と異なり、新十両から4場所で
入幕することになった。

<2022年1月剣翔戦>

荒篤山はまもなく28歳になる。181センチ、
160キロで押しを得意とする。苦労人が輝く
ときが、ついに来たのである。

ドコモにいってきます。            
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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