大相撲

照ノ富士のリベンジ

大相撲本場所において、優勝候補をあげる
とすれば照ノ富士一人しかいない。その
照ノ富士は一月場所珍しく11勝で終わった。
かかとをいためていた事情はあるにせよ、
4敗もするとは予想できなかった。

<照ノ富士の土俵入り>

照ノ富士は非常に相撲が安定していた。
昨年の三月場所から連続5場所12勝以上の
成績だった。始まりは関脇で大関2場所を
経ての記録だった。それがストップした
のが一月場所だった。

一月場所はさらに3連覇がかかっていたが、
それもなくなった。3連覇以上は大正15年に
優勝制度ができて以来わずか11人しか達成
していない偉業だった。三月場所照ノ富士は
再び賜杯を取り戻せるのか。

王者大鵬を脅かそうとする力士が現れると、
師匠の二所ノ関(元佐賀ノ花)は「時代が
変わるとぞ」とはっぱをかけていた。まだ
照ノ富士を脅かす存在は見当たらない。一月
場所の負けは照ノ富士の心にあったように
思う。敵は対戦相手ではなく、自分自身で
あった。

<一月場所阿炎に敗退>

優勝した御嶽海でもはさみつけて寄り切る
のがパターンであった。一月場所は三つ巴の
不安からか、気力を欠いた相撲になった。
明生戦は土俵際の詰めを誤った。阿炎のこれ
しかないという突き押しに屈した。三月場所、
照ノ富士は一月場所で負けた御嶽海、阿炎、
明生、玉鷲に対してリベンジを果たすことで
ある。

<三月場所の案内>

立ち合い踏み込んで相撲を取れば、めったな
ことで負けない。10回の優勝を目指し、再び
優勝を取り戻すことが使命である。

コロナ禍ではスポーツ紙の大相撲ニュースが小さいです。             。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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