2年連続学生横綱を引き下げて相撲界入り
したのが輪島であった。ただ、胸が薄く、
相撲が小さいから大成を疑問視する見方は
あった。
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だが、昭和45年一月場所、三月場所、輪島は
幕下付出でデビューすると2場所連続幕下
優勝してしまった。14勝とこれ以上の成績が
ないなかで十両入りしてしまった。当時は
付出に細かい規定はなく、幕下最下位格だっ
た。そんな輪島が横綱までどんな出世街道を
歩んだのか。
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![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/02/輪島B.jpg)
十両入りしたが、最初の場所は10勝5敗で
あった。当時、輪島は巨漢が苦手であった。
事実連勝は義ノ花にストップされている。
また、十両2場所目には初めて負け越して
いる。輪島を追って長浜が十両入りした。
長浜が刺激となったのか、輪島は十両3場所
目13勝2敗で優勝している。
だが、十両6枚目でありながら入幕できなか
った。当時は幕内下位で大負けした力士が
一人で、あとは微妙に落ちない成績の傾向が
あった。それどころか東十両筆頭の旭國が
8勝7敗ながら西筆頭に、東十両2枚目増位
山が同じく8勝7敗で西十両2枚目に下げら
れているのだ。十両昇進候補5人に対し、
幕内から落ちるのが一人というアンバランス
が影響した傾向であり、結果であった。
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思いがけず、十両にとどまることになった
輪島が入幕できたのは昭和46年一月場所で
あった。新入幕は9勝6敗であった。学生
出身の先人豊山が12勝3敗で敢闘賞を受賞
したのに比べると、寂しいスタートであった。
しかも翌場所は5勝10敗で大負けしている。
入幕3場所目、幕尻に位置した輪島は11勝4敗
で敢闘賞を初受賞した。
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ここから上向きとなった。入幕4場所目の七月
場所初の横綱・大関戦となった。横綱には歯が
たたなかったが、大関には2勝2敗の成績を
残した。6勝9敗だったが、何か手ごたえを
つかんだ場所になった。この時横綱玉の海と
対戦した。だが、これが最後の一番になって
しまった。翌場所後玉の海は帰らぬ人となって
しまった。
(この項目続く)
睡眠十分ですが、神経的な疲れはのこります。 。
興味深いテーマをこれからもお届けします。