貴景勝は上位初挑戦の宇良と対戦した。貴景
勝は曲者相手のせいかよくみて押すが、宇良
まわり込んで突き合い。宇良右前褌から両
まわし取って頭をつける絶好の体勢をつくる。
宇良ひきつけて前に出る。しかし、貴景勝、
引きながら上からはたく。貴景勝重心を失っ
て崩れるも宇良も前にばったり。うちわは
貴景勝。物言いがついて協議が長引いたが、
取り直しとなった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/01/220111三日目幕内-1290.jpg)
取り直しの一番は宇良が立ち合いに変化。
貴景勝大きく泳ぎ、そこを宇良が強烈に押し
倒した。取り直しは実力が上のほうが有利
という言葉は貴景勝には通用しないことが
判明した日となった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/01/220111三日目幕内-1318-e1641905141321.jpg)
正代は大栄翔と対戦した。相撲は大栄翔の
押しをまともに受けてそのまま一気に押し
出された。限りなく無策に近い相撲となった。
正代完敗の相撲となった。正代は先場所初日
にも大栄翔に完敗している。負けて覚える
相撲かなは正代にはないらしい。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/01/220111三日目幕内-1171-e1641905193705.jpg)
照ノ富士は霧馬山を相手に得意の左上手を
引くと、一気に寄って出て土俵下までもって
いった。攻めの照ノ富士の迫力を見せつけ
られた一番であった。満点の相撲だった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/01/220111三日目幕内-1383-e1641905169116.jpg)
メディアのなかには照ノ富士が新横綱から
3連覇すると栃木山以来の快挙になるといっ
ているものがある。これは歴史的誤りである。
栃木山の時代には優勝制度はなかった。ある
のは時事新報社による幕内最高成績者の額を
国技館に掲げる制度であった。一新聞社の
制度にすぎなかった。対戦相手が休場すると
自分も「や」扱いになった。
賜杯ができ、優勝制度ができたのは大正15年
からである。優勝制度とともに不戦勝不戦敗
制度、取り直し制度が整備されていったので
ある。
雨の日ですが、行きも帰りのやんでいました。
興味深いテーマをこれからもお届けします