大相撲

2人の横綱を育てた名伯楽 上

2021年7月22日

照ノ富士が横綱に昇進したことで、師匠の
伊勢ヶ濱(元旭富士)は2人の横綱を育てた
ことになる。最初の横綱はいうまでもなく
日馬富士である。日馬富士は小さいころから
面倒を見てきた直弟子である。

<優勝旗は師匠から弟子照ノ富士へ>

照ノ富士は元2代目若乃花の間垣に入門した。
四股名は若三勝であった。2011年技量審査
場所で前相撲をとっている。間垣は体を悪く
していた。脳出血の後遺症で指導、部屋経営
がままならなかった。間垣が託したのは同郷
(青森)の元旭富士であった。十両昇進と
ともに照ノ富士に改めた。ケガのため、序二
段にまで落ちた照ノ富士を横綱にまで育てた
のはまさに伊勢ヶ濱の手腕であった。

横綱が実質地位化したのは常陸山以降である。
その常陸山は出羽ノ海として(当時はノの字
があった)一代で部屋を大きくした。横綱と
して大錦、栃木山という2人の強豪横綱を
生んだ。「おい、あの小さいのはなんという
のだ。あんなのうちの部屋にいたのか」と
栃木山の成長に注目するようになった。当時
弟子は100人以上いたから把握しきれなかった
面があった。もう少し長生きしていれば、
大関常ノ花の横綱も見届けられただろうに。
惜しかった。

<元常陸山の出羽ノ海>

元常陸山の出羽ノ海が46歳という若さで亡く
なると部屋を継いだのが元両国=前名国岩で
あった。出羽海が番付の方屋を独占したのは
元両国の出羽海のときである。彼の元から
武蔵山・安芸ノ海の2人の横綱が誕生した。
しかし、武蔵山は休場が多く、安芸ノ海も
横綱優勝はなかった。

<両国のブロマイド>

ほぼ同時期、元緑嶋の立浪は無敵双葉山と
強豪羽黒山という偉大な横綱を育てている。
双葉山は69連勝という今でも破られない記録
を年2場所の時代に達成している。相手が
立てばいつでも立つ立ち合いは超人的であっ
た。双葉山がいる間は二番手であった羽黒山。
彼が頭角を表わしたのは戦後であった。双葉
山は立浪一門に属することなく、時津風一門
を起こしている。

<緑嶋のブロマイド>

そして時代は戦後へと移っていく。

(この項目続く)

女子サッカーを見ました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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