大相撲

優勝した場所の前と後の負け越し6

2021年4月25日

■千代の山
・優勝した前場所負け越し9例目
戦後の相撲界は日本の古いものはだめという
風潮のなかで観客はガラガラであった。食料
事情もよくなかった。そんななか千代ノ山
(昭和28年秋場所まではノの字)は期待の
ホープだった。昭和20年秋場所では新入幕で
10戦全勝している。期待された割に優勝は
6回であった。昭和28年春場所後には横綱
返上問題をおこしている。最後の6回目の
優勝は初の全勝優勝であった。その前場所は
全休であった。

<千代の山のブロマイド>

■2代目玉乃海
・優勝した前場所・翌場所負け越し5例目
昭和32年11月、初めて福岡の福岡スポーツ
センターで本場所が開催された。荒法師
玉乃海は前頭18枚目、金色のまわしで全勝
優勝した。前頭は23枚目まであった。幕内
は58人いた。ただ、玉乃海は横綱・大関戦は
一番もなかった。関脇が最高位の対戦相手で
あった。強豪を倒さずの優勝は価値あるもの
とはいいがたかった。玉乃海は前場所全休。
翌場所は小結に昇進した。横綱に3敗、大関
に1勝したが、5勝10敗と大敗している。

<玉乃海のブロマイド>

■朝潮
・優勝した翌場所負け越し20・24例目
朝潮は強い朝潮と弱い朝潮が同居している
といわれた。巨体から繰り出す突っ張りは
脅威であった。若瀬川は朝潮に突き倒された
とき、倒れてから土俵上を1メートル尻が
すべったという。朝潮は同時にケガが多く
大成しなかった。優勝は5回あるが、4回は
大阪だった。3回目の大関の優勝の翌場所、
5勝4敗6休と負け越している。最後の優勝
となった5回目の優勝の翌場所0勝4敗11休
と負け越した。5回目の優勝から5場所後の
場所前に引退している。最後までケガに勝て
なかった。

<朝潮のブロマイド>

■若羽黒
・優勝した翌場所負け越し21例目
若羽黒の大関昇進成績は7勝-11勝-12勝と
負け越しが絡んでの成績だった。こうした
例はほかに魁傑の最初の大関昇進がある。
ともに大関が一人という事情が絡んでいた。
ところが、若羽黒は新大関の昭和34年十一月
場所で初優勝を成し遂げてしまった。若羽黒
少年を立浪(元緑嶋)部屋に入門させたのは
ひげの伊之助であった。そしてこの場所が
定年であった。支度部屋で賜杯を抱く若羽黒
のそばでバンザイに参加した。しかし、若
羽黒の優勝は1回限りであった。翌場所は
7勝8敗と負け越している。

<若羽黒のブロマイド>

■初代若乃花
・優勝した前場所負け越し10例目
・優勝した翌場所負け越し23例目
若乃花は10回優勝している。そのうちの8回
は横綱になってからである。もっとも劇的な
優勝は昭和35年三月場所の栃錦との千秋楽
全勝決戦である。史上初めて横綱同士(横綱
同士以外では優勝制度のない時代にある)が
千秋楽全勝同士でぶつかるという劇的な場所
となった。

<若乃花のブロマイド>

時津風(元双葉山)理事長がこの一番だけ
土俵下から見守った。栃若戦は前期栃錦、
後期若乃花有利であった。がっぷり左四つ
から栃錦は下手をぬいて上手を切らんとした
が、若乃花はまわしを引きつけ、寄り切った。
前場所若乃花は0勝3敗12休と負け越して
いた。また、若乃花は最後の10回目の優勝の
翌場所5勝4敗6休と負け越している。

(この項目続く)

五月場所観戦予定者は不安を感じています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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