大相撲

横綱の対大関戦の成績12

語り継がれる兄弟子千代の富士との激しい
ぶつかり稽古が北勝海を横綱に押し上げた。
北勝海は横綱在位29場所、皆勤は21場所で
あった。数字的には2代目若乃花の横綱在位
場所数、皆勤場所数より、ともに1場所多い。
だが、大関対戦数は2代目若乃花の23番より
多く、66番と倍以上になった。大関戦は39勝
27敗(優勝決定戦2勝、優勝決定巴戦1勝
1敗を含む)となった。

<北勝海>

対戦した大関は6人に及んだ。最多対戦大関
は小錦で11勝10敗(優勝決定巴戦1勝1敗を
含む)とほぼ互角だった。次が大関北天佑で
10勝5敗に終わっている。好成績をあげなが
ら横綱に待ったがかかった大関旭富士には
9勝7敗(優勝決定戦2勝を含む)と接近
した数字になっている。がちんこ大関大乃国
は横綱北勝海を追いかけるように横綱になっ
たので、対戦は少なく1勝1敗であった。

大乃国はがちんこ相撲で好感がもてるが、
横綱としてもうひとつ物足りなかった。横綱
優勝はわずか1回だった。休場が目立ち、
大関戦は45番だった。成績は26勝19敗と勝ち
越し7に終わった。成績順に大関北天佑に
8勝3敗、大関朝潮に5勝2敗、大関小錦に
7勝6敗だった。大関霧島に1勝2敗、大関
旭富士に5勝6敗と負け越している。28歳で
引退せざるを得なくなった。

<大乃那>

横綱旭富士は横綱在位9場所、横綱優勝1回
という短命で終わっている。それだけに対戦
した大関は2人だけであった。成績は8勝
4敗(優勝決定戦での大関小錦戦の1勝を
含む)で大関小錦、大関霧島、ともに4勝
2敗であった。本来、もっと早く横綱に上が
ってもおかしくない成績をあげていただけに
悲運であった。

<旭富士>

曙は横綱不在のなかで誕生した新たな世代の
横綱だった。突き押しのパワーは凄まじかっ
た。横綱曙の大関戦は100番を超えた。横綱
在位48場所、皆勤35場所である。これは横綱
柏戸よりもともに1場所上まわっている。
横綱柏戸の大関戦は109番だったが、曙は101
番であった。大関戦100番超えは横綱大鵬、
前述した横綱柏戸、横綱北の湖、横綱千代の
富士についで5人目である。対戦した大関は
10人に及んだ。成績は67勝34敗(優勝決定戦
1勝、優勝 決定巴戦1勝、優勝決定トーナ
メント準決勝1勝1敗を含む)であった。

<曙>

最多対戦は大関貴ノ浪で22勝4敗(優勝決定
戦1勝を含む)と圧勝している。9連勝した
まま二人の横綱対大関戦は消滅した。同期の
ライバル大関貴ノ花に5勝4敗(優勝巴戦
1勝を含む)と拮抗し、同じく同期の若ノ花
には9勝10敗と負け越している。曙は体力の
限界というよりも最後は部屋の人間関係から
引退した面があり、惜しまれた。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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