大相撲

豊ノ島の相撲人生2

2007年一月場所、豊ノ島は前頭9枚目で12勝
3敗の好成績で敢闘賞、技能賞を受賞した。
初の三賞がダブル受賞となった。12勝のなか
で、今も現役の力士は鶴竜一人となっている。
13年前以上のことになる。

この好成績で翌三月場所はいよいよ横綱・
大関と対戦する前頭筆頭まで番付を上げた。
新入幕から15場所目であった。横綱は朝青龍
一人であった。大関は千代大海、白鵬、琴欧
洲、魁皇、栃東の5大関であった。初日いき
なり大関琴欧洲を倒して好スタートとなった。
12日目から休場した栃東戦こそなかったが、
千代大海からも勝利して、大関戦は2勝2敗
でのりきった。初の上位で8勝7敗と見事
勝ち越したのである。

<2007年5月 千代大海に勝利>

五月場所は初めて小結に上がった。だが、
今度ははね返された。4勝11敗と大敗した。
この場所白鵬は全勝優勝して連続優勝となり、
横綱昇進を決めた。また、栃東は場所前引退
していた。

豊ノ島が脚光を浴びたのは、九月場所であっ
た。前頭5枚目で横綱白鵬から金星を奪った
のである。その白鵬が13勝2敗で優勝した
のである。8勝7敗で初の殊勲賞を受賞した。
なお、この場所から琴光喜が新大関として
登場している。また、朝青龍が夏巡業に参加
せず、モンゴルでサッカーをしていたため、
出場停止になっている。6月に24歳を迎えた
2007年は48勝42敗と好成績を残した。

<2007年9月 横綱白鵬から金星>

この好調は2008年も続いた。五月場所前頭
5枚目、11勝4敗で敢闘賞を受賞。25歳で
迎えた翌七月場所は2度目の小結となった。
この場所横綱朝青龍から初勝利した。大関
魁皇、琴欧洲、千代大海にも勝って10勝5敗
で殊勲賞を受賞した。翌九月場所は初の関脇
に昇進した。この場所も横綱朝青龍から勝利
している。この年、48勝42敗と再び好成績を
残した。

<2008年1月 琴欧洲との投げの打ち合いを制す>
<2008年7月 横綱朝青龍から初勝利>

明けて2009年一月場所、初の休場となった。
7日目の魁皇戦で肘をケガしてしまった。
翌日から休場した。その後、横綱・大関戦は
あっても部分対戦となり、それでも勝ち越せ
なかった。横綱・大関との対戦がない場所
でも8勝7敗であった。最後の十一月場所で
11勝4敗と技能賞を受賞したが、26歳を迎え
た2009年は41勝42敗7休とふるわなかった。

2010年はとんでもない年となった。五月場所
中琴光喜の野球賭博事件が発覚した。その後
関与した者が次々に出てきた。また、野球
以外の賭博に関わった者も出てきた。相撲
部屋が捜索されることまであった。この事件
で、琴光喜、大嶽(元貴闘力)が解雇された。
そして、関取10人が謹慎による出場停止と
なった。その中に豊ノ島の名前があった。
豊ノ島はこの件で精神的に落ち込み、大いに
悩んだのであった。27歳のときのことである。

<岩木山は本当の休場 ほかは謹慎出場停止>

(この項目続く)

コロナ不況はいつまで続くのか。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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