大相撲

横綱の連続優勝なし場所数3

あの体では三役になれないといわれた栃錦が、
大関で連続優勝して横綱にまで昇進した。
大関になるまでは、左右の変化、多彩な技の
相撲だった。大関後半から寄り、押しを中心
とする相撲に変わってきていた。横綱になっ
たときは106キロであった。横綱で6回優勝し、
若乃花とともに時代を築いた栃錦にも苦境の
時期はあった。横綱3場所目に優勝した後、
8場所連続優勝なしがある。この中には、
途中休場-9勝-9勝-途中休場が含まれて
いるほどだった。

<栃錦のブロマイド>

若乃花が横綱に推挙されたとき、「困ったな
あ」を繰り返していた。横綱は不成績なら
引退しなければならない。兄弟が多く、生活
がかかっていた若乃花はまだまだ引退でき
ない立場であった。末っ子の貴ノ花はこの
とき7歳であった。しかし、若乃花は猛稽古
で横綱の責任を果していった。連続優勝なし
は、最後の場所となった昭和36年三月場所を
含む、8場所連続優勝なしである。時代は
大鵬へと移っていた。

<若乃花のブロマイド>

朝潮には強い朝潮と弱い朝潮が同居している
といわれた。しかし、横綱朝潮に関しては
弱い朝潮のほうが多かったのではないだろう
か。横綱優勝はわずか1回。新横綱の場所
から11場所連続優勝なしを記録した。この
なかには全休3場所、途中休場3場所、9勝
1場所が入っている。

優勝32回を誇る大鵬は、入幕した場所から
引退した場所まで優勝のなかった年はない、
という記録をもつ。さすがに白鵬もこの記録
は達成できなかった。その大鵬がもっとも
ピンチだったときが、昭和42年十一月場所
からの5場所連続休場である。大鵬の連続
優勝なしはこのときであった。なお、休場
明けの大鵬は45連勝を達成した。その連勝は
誤審でストップするという相撲史の歴史的
汚点を残した。

<大鵬>

柏戸の連続優勝なしは、引退場所を遡る12場
所連続である。佐田の山に先に引退され、
横綱は大鵬と柏戸だけになった。次の横綱の
メドがまるで立たず、柏戸は辞めるに辞め
られない立場であった。12場所連続優勝なし
のなかには、9勝6敗が6場所もあった。
それでも限界でやむなく引退した。そのとき
は「大鵬関すまない」という気持ちがあった。

<柏戸>

栃ノ海はワンチャンスで横綱になった。相撲
のうまさは抜群で、栃錦以上といわれた。
手順よく進むと大鵬、柏戸を撃破する名人
相撲を取った。だが、非力な栃ノ海は、致命
的な故障が重なり、勝てなくなった。横綱
2場所目の優勝を最後に15場所連続優勝なし
で引退している。

佐田の山は力量一杯に取った力士である。
大鵬戦は、対戦成績はともかく、熱戦が多か
った。大関時代が17場所と長かったが、つい
に横綱になり、横綱2場所目に優勝した。
ところが、ここからが長かった。14場所連続
優勝なしであった。そのあとの優勝は、11勝
1敗と優勝のトップを走っていた大鵬が13日
目から休場となり、ころげこんできたカタチ
であった。翌場所も優勝し、連続優勝したが、
その翌場所あっさり引退してしまった。

(この項目続く)

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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