あの体では三役になれないといわれた栃錦が、
大関で連続優勝して横綱にまで昇進した。
大関になるまでは、左右の変化、多彩な技の
相撲だった。大関後半から寄り、押しを中心
とする相撲に変わってきていた。横綱になっ
たときは106キロであった。横綱で6回優勝し、
若乃花とともに時代を築いた栃錦にも苦境の
時期はあった。横綱3場所目に優勝した後、
8場所連続優勝なしがある。この中には、
途中休場-9勝-9勝-途中休場が含まれて
いるほどだった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/栃nisi -e1587507553246.jpg)
若乃花が横綱に推挙されたとき、「困ったな
あ」を繰り返していた。横綱は不成績なら
引退しなければならない。兄弟が多く、生活
がかかっていた若乃花はまだまだ引退でき
ない立場であった。末っ子の貴ノ花はこの
とき7歳であった。しかし、若乃花は猛稽古
で横綱の責任を果していった。連続優勝なし
は、最後の場所となった昭和36年三月場所を
含む、8場所連続優勝なしである。時代は
大鵬へと移っていた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/若noha-e1587507573761.jpg)
朝潮には強い朝潮と弱い朝潮が同居している
といわれた。しかし、横綱朝潮に関しては
弱い朝潮のほうが多かったのではないだろう
か。横綱優勝はわずか1回。新横綱の場所
から11場所連続優勝なしを記録した。この
なかには全休3場所、途中休場3場所、9勝
1場所が入っている。
優勝32回を誇る大鵬は、入幕した場所から
引退した場所まで優勝のなかった年はない、
という記録をもつ。さすがに白鵬もこの記録
は達成できなかった。その大鵬がもっとも
ピンチだったときが、昭和42年十一月場所
からの5場所連続休場である。大鵬の連続
優勝なしはこのときであった。なお、休場
明けの大鵬は45連勝を達成した。その連勝は
誤審でストップするという相撲史の歴史的
汚点を残した。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/大hou-e1587508089753.jpg)
柏戸の連続優勝なしは、引退場所を遡る12場
所連続である。佐田の山に先に引退され、
横綱は大鵬と柏戸だけになった。次の横綱の
メドがまるで立たず、柏戸は辞めるに辞め
られない立場であった。12場所連続優勝なし
のなかには、9勝6敗が6場所もあった。
それでも限界でやむなく引退した。そのとき
は「大鵬関すまない」という気持ちがあった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/柏-e1587507615626.jpg)
栃ノ海はワンチャンスで横綱になった。相撲
のうまさは抜群で、栃錦以上といわれた。
手順よく進むと大鵬、柏戸を撃破する名人
相撲を取った。だが、非力な栃ノ海は、致命
的な故障が重なり、勝てなくなった。横綱
2場所目の優勝を最後に15場所連続優勝なし
で引退している。
佐田の山は力量一杯に取った力士である。
大鵬戦は、対戦成績はともかく、熱戦が多か
った。大関時代が17場所と長かったが、つい
に横綱になり、横綱2場所目に優勝した。
ところが、ここからが長かった。14場所連続
優勝なしであった。そのあとの優勝は、11勝
1敗と優勝のトップを走っていた大鵬が13日
目から休場となり、ころげこんできたカタチ
であった。翌場所も優勝し、連続優勝したが、
その翌場所あっさり引退してしまった。
(この項目続く)
太田裕美の音楽番組を見ました。
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