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歴史的瞬間!連勝ストップ5

■大鵬

大鵬の連勝は2度とも34連勝で終わっていた。
大鵬が24歳、26歳のときである。双葉山の
69連勝はるかに遠い数字であった。大鵬を
もってしても連勝は容易なことではなかった。
それどころか、大鵬に一大ピンチが訪れた。
5場所連続休場である。
11勝2敗2休
1勝3敗11休
全休
全休
全休
大鵬27歳から28歳にかけてのことである。

昭和43年九月場所、休場明けの大鵬は初日
相撲巧者栃東と対戦した。大鵬は栃東の左
おっ つけ、一気の出足に残すことができずに
敗れ、 不安のスタートとなった。この敗戦に
大鵬は 気持ちを引き締め、2日目から14連勝
して 優勝した。横綱は佐田の山が引退して、
柏戸 一人になっていた。大鵬は翌場所、翌々、
場所 全勝優勝して連勝を44まで伸ばした。

<大鵬>

迎えた昭和44年三月場所、相撲ファンの最大
の関心事は大鵬の連勝にあった。44連勝で
むかえた初日、曲者藤ノ川を一蹴して45連勝
と記録をのばした。世紀の大誤審はこの直後
に起きた。

2日目、大鵬は新鋭の戸田(後の羽黒岩)と
対戦した。戸田は立ち合いから猛然と大鵬を
押したてた。大鵬後退。後退しながら東土俵
から正面にまわりこんだ。なおも押し立てる
戸田だが、まわり込んだ大鵬を押すとき右足
が土俵の外の砂をはねた。直後に大鵬が正面
土俵を割った。

<大鵬対戸田戦を伝える大相撲
(読売新聞社刊)より>

軍配は大鵬にあがった。控えの高鉄山も戸田
の足が出たと主張。だが、5人の審判=審判
長の元栃錦の春日野、元栃光の千賀ノ浦、
元鶴ヶ嶺の君ヶ浜、元羽島山の松ヶ根、元
羽黒花の玉垣は戸田の勝ちと判定した。世紀
の大誤審の瞬間であった。大鵬の場合は歴史
的瞬間というより世紀の大誤審という事件と
なってしまった。この相撲はYouTubeで見る
ことができる。

また、この判定に対する協会の態度が問題に
なった。「誤審でお客さんが遠のくのでは」
という質問に対し、当時理事長であった元
出羽ノ花の武蔵川は「そうは思わない。ファ
ンの中には大鵬が負けたと喜んでいる人も
いるだろう。相撲は複雑なものだと思って
かえって興味をそそられる人もいるんじゃ
ないか」と発言した。相撲評論家東富士氏は
言う。「それは理事長という役職にある者の
発言ではない。完全に野次馬の言葉だ」と
批判した。

<武蔵川理事長>

大鵬は支度部屋で「あんな相撲を取ったわし
がいけないのだ」という言葉が伝わり、立派
な横綱だと賞賛されている。しかし、宿舎の
久本寺に帰り、ニュースを見ると誤審に対
する怒りと失望がこみあげてきた。大鵬は
今まで節制していたが、それがくずれ、急逝
肺炎でこの場所休場した。大阪府立体育館は
お客さんが遠のき、そのあと客席はガラ空き
となった。

世紀の大誤審は。あってはならないことだっ
た。この最大の汚点は永遠に相撲史残ること
になった。

力士にコロナ初感染者かというニュースが流れました。
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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