大相撲

小兵列伝1

三月場所、炎鵬は研究され、苦戦の連続だっ
た。一月場所は遠藤、豪栄道、朝乃山、高安、
阿炎から勝利した。だが、三月場所では引退
した豪栄道、途中休場した高安、対戦がなか
った阿炎を別にすると初対戦の横綱鶴竜、
大関貴景勝、関脇朝乃山・正代、小結遠藤、
さらに豊山には完璧に取られた。よく見て、
あわてず、飛び込ませない。炎鵬攻略法で
ある。

<炎鵬>

かつて元栃錦の春日野理事長は、旭國の大関
昇進祝いでこう挨拶した。「旭國はピラニア
と呼ばれています。私はマムシといわれ、
若乃花は鬼と呼ばれました。小兵力士にこう
いうニックネームがつけばしめたものです」
炎鵬にはこれといったニックネームがない。
炎鵬がさらに対戦相手を上回る、あるいは
予想を超える相撲を取れるようになったとき
相撲はさらに面白くなる。

炎鵬に限らず、小兵はいつの時代でも土俵を
わかせる存在である。そんな力士にスポット
をあててみた。

■玉椿
富山県出身、雷(元梅ケ谷)部屋。159セン
チ(常陸山との取組写真をみると実際は155
センチではという見方がある)、90キロと
とにかく小さかった。明治36年夏場所入幕後、
10年にわたって幕内で活躍した。食い下がっ
ての頭捻り、足技、投げを得意とした。しぶ
とい相撲からダニと呼ばれた。大関荒岩、
大関駒ヶ嶽、大関西ノ海に勝ったことがある
が、横綱常陸山には引き分けたことはある
ものの、ついに勝てなかった。関脇4場所、
小結7場所務めた。

<玉椿のブロマイド>

■大ノ里
青森県出身、若松(元行司初代木村一学)
部屋に入門するも急死にともなって2代目
行司初代木村一学が襲名すると、これに不満
をもって、湊川(元綾浪)に移籍。さらに
入幕の前の場所に出羽海(元常陸山)に移籍
した。体重は97キロ。土俵で独楽鼠のように
動くことから鼠のニックネームがつく。大正
7年夏場所入幕。正攻法ではず押しを得意
とした。前さばきは名人級、投げ、捻りなど
もみせ、技能相撲で神様と呼ばれる。大関
まで到達し、7年務めた。横綱戦は9勝10敗、
大関戦は19勝23敗1分であった。最後は春秋
園事件で協会を脱退して、天竜と運命をとも
にした。

<大ノ里のブロマイド>

■幡瀬川
秋田県出身、楯山(元友響)部屋。実質の
師匠は現役の清瀬川であった。75キロ、増え
ても80キロ台だった。突っ張って、いなした
ところを右四つ。さらに出し投げからの小股
すくいを得意とした。この小股すくいがすご
かった。対戦相手が何で負けたかわからない
ほどの技のきれだった。ここが名人ではなく
神様たる所以である。また、相手の欠点を
よくついて、力を封じる相撲を取った。

<幡瀬川のブロマイド>

昭和3年から15年まで幕内に在位して活躍
した。巨体の大関男女ノ川をひっくり返す
のだから技はさえ渡り、3連勝したことが
ある。大関大ノ里に6勝3敗、大関能代潟に
3勝1敗と勝ち越している。大関清水川に
3勝4敗、大関武蔵山に3勝7敗の成績を
残している。ただ、横綱にはついに勝てなか
った。常ノ花に3敗、武蔵山・男女ノ川に
1敗。特に玉錦には大関時代に5連敗、横綱
時代5連敗とまったく手がでなかった。幕内
は34場所務めた。そのうち小結4場所、関脇
5場所在位した。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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