3月26日「次の大関は誰」というテーマで
次のように記した。一月場所13勝した正代は
三月場所8勝に終わった。勝ち越しはりっぱ
だが、連続2ケタの持続性はなかった。いか
にも正代の大関はなくなったように書いた。
しかし、歴史的には大関昇進2場所前の1ケ
タ勝利の大関はいるのである。15日制の71例
中12例と17パーセントに過ぎないが、実際は
あるのである。そうみれば正代の大関昇進は
100パーセントなくなったとはいえないので
ある。
鏡里 9勝-8勝-11勝
松登 11勝-8勝-13勝
若ノ花10勝1分-8勝-10勝1分
朝汐 8勝-8勝-13勝優勝
鏡里と若ノ花は、本人も大関に上がれるとは
思わず、予定をいれていたことはすでに書いた。
今ならありえない大関昇進かもしれない。
松登は直前優勝争いをした。昭和30年秋場所
13日目、横綱鏡里と1敗同士で対戦した。
敗れたものの優勝次点であったことが大き
かった。朝汐は2回目の優勝であった。御嶽
海がこの時代の力士なら大関になっていた
かもしれない。
北葉山 8勝-9勝-11勝
佐田の山8勝-9勝-13勝優勝
栃ノ海 9勝-9勝-14勝優勝
北葉山は12場所連続関脇・小結在位が評価さ
れた。佐田の山は横綱大鵬を優勝決定戦で
倒しての優勝だった。大鵬は4連覇中であっ
た。栃ノ海も優勝している。当時は関脇で
優勝すれば、大関の力はあるという風潮で
あった。
玉乃島 10勝-9勝-11勝
当時は全盛期を過ぎた豊山の一人大関であっ
た。そこでまず、北の富士が甘い成績で大関
になった。その翌場所、玉乃島がやはり甘い
成績で昇進した。
清國 10勝-9勝-12勝
清國は安定した成績が評価されたとして、
大関に昇進した。だが、現代なら異議が出そ
うである。また、時代背景として昭和40年代
までは甘い昇進は珍しくなかった。
輪島 12勝優勝-8勝-13勝
輪島は優勝しているが、そのときは10勝-
9勝-12勝優勝だった。当時は混乱の時期で
誰が優勝するか皆目検討がつかなかった。
そんななかの優勝だったので、優勝の評価は
低かった。長谷川が8勝-10勝-12勝優勝で
大関に昇進できなかったのも同様であった。
輪島はその2場所後13勝をあげた。このとき
千秋楽で貴ノ花と水入りの熱闘となった。
「こんな相撲を見せられては」のムードが
大関昇進につながった。
曙 13勝-8勝-13勝優勝
平成に入って大関の甘い昇進は少なくなった。
曙の最初の13勝のとき、貴花田が初優勝して
日本中を熱狂させた場所である。優勝を先ん
じられた曙が2場所後優勝したわけである。
横綱不在の時代に入っていた。
豪栄道 12勝-8勝-12勝
12勝-8勝なので、次の場所は大関をかける
場所とは本人も周囲もメディアも考えていな
かった。ところが、場所が進むと千秋楽を
迎えて優勝争いは次のようになった。
横綱白鵬 12勝2敗
大関琴奨菊12勝2敗
11勝3敗関脇豪栄道は琴奨菊と対戦すること
になっていた。この展開で急に豪栄道の大関
昇進が浮上した。琴奨菊に勝てば大関昇進と
なった。そして豪栄道は大関を手中にする
ことができた。
正代は13勝-8勝-12勝以上なら大関昇進は
ないとはいえない。13勝は平幕だが、上位と
ほぼ対戦している。今度の場所で正代が優勝
なら大関昇進があるかもしれない。
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