連勝。それは強いだけではできない。選ばれ
し者だけがなしうる金字塔である。双葉山は
いつまで勝ち続けるのか。双葉山は100連勝
を目指しているのでは。双葉山を倒すのは
誰だ。いつの時代にもこういう声はある。
相撲ファンは英雄を崇拝しつつも、誰が
どういうカタチで倒すかという興味も尽き
ない。
■太刀山
明治42年夏場所、両国国技館の開設とともに
太刀山の連勝は始まった。新大関のときで
ある。当時は10日制で7日目碇潟に敗れた
翌日から連勝は始まった。翌場所は6勝2分
1預かりであった。これは厳密には連勝で
ないが、取り直し制度がないため、時代の
限界であった。この場所は6連勝とする。
ただし、取組は東西制のため、同じ方屋の
力士との対戦はない。太刀山対横綱2代目
梅ヶ谷戦はない。単純計算すれば強豪は
半減するわけである。
大関時代
明治42年夏場所 8勝2敗 3連勝
明治43年春場所 6勝2分1預1相手休
明治43年夏場所 9勝1分
明治44年春場所 8勝1分1預
横綱時代
明治44年夏場所 10勝
こうして迎えた明治45年春場所、太刀山は
初日から連戦連勝で7連勝。通算43連勝に
到達した。こうして迎えた8日目。対戦相手
は 大関2代目西ノ海である。ここまでの対戦
成績は太刀山の5勝1敗1分である。西ノ海
が勝ったのは、錦洋と名のっていて、太刀山
が関脇のときであった。
太刀山(○●…○○…○△…○…)西ノ海
日本相撲史中巻(酒井忠正著 ベースボール・
マガジン社刊)によれば、相撲は次のように
展開した。立ち上がるや太刀山が烈しく突か
けるのを西ノ海は体を右に開いて、太刀山の
空をつくところを素早く叩けば、太刀山は
脆くも四つん這いとなり、西ノ海の勝ちと
なる。
太刀山の連勝はこうしてストップされた。
なお、太刀山はこの後56連勝したということ
が、まことしやかに伝わっているが、正確
には違う。
明治45年夏場所 10勝
大正2年春場所 全休
大正2年夏場所 10勝
大正3年春場所 10勝
大正3年夏場所 8勝1預1相手休
大正4年春場所 全休
大正4年夏場所 10勝
大正5年春場所 全休
全休が3回ある。全休は自己都合によるもの
なので連勝を中断するものである。太刀山が
負けることは、めったになかったことは確か
である。人によっては史上最強にあげている。
連勝をストップされた西ノ海に、太刀山は
その後6連勝している。
太刀(●○…○○○…○…○………)西
地元のスーパーで買占めに走る方はいませんでした。
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