大相撲

大関の優勝間隔

2019年10月14日

九月場所、2横綱が休場したにも関らず、
大関は優勝争いに加われなかった。豪栄道は
10勝、栃ノ心にいたっては負け越しなのだか
ら話にならない。これで大関の優勝なしは
16場所連続となり、継続中である。平成29年
一月場所の大関稀勢の里の優勝以降大関の
優勝はない。大関は横綱に次ぐ地位であり、
協会の看板であり、厚遇を受けている。2場
所連続負け越さない限り降格はない、という
特権もある。それでいて現状は責任を果たせ
ていない。
170122千秋楽パレード 067
<大関で優勝した稀勢の里>

16場所連続大関の優勝なしは、大正15年の
協会認定の優勝制度から2度目である。最初
は昭和45年一月場所、大関北の富士が3回目
の優勝をして横綱昇進を決めて以降である。
横綱大鵬・北の富士・玉の海の優勝プラス
混乱場所が4場所続いて16場所連続大関優勝
なしとなった。記録をストップしたのは大関
琴桜であった。琴桜は次の場所も優勝して
予想に反し、32歳で横綱に昇進した。

それ以上の記録がある。昭和52年五月場所、
大関若三杉(のちの2代目若乃花)が優勝
して以降である。横綱輪島・北の湖・2代目
若乃花・三重ノ海プラス関脇千代の富士が
優勝し、24場所大関優勝なしの最悪記録が
生まれた。記録を止めたのは大関千代の富士
であった。その後千代の富士は横綱に昇進し、
優勝31回、53連勝、初の通算1045勝など数々
の記録を残した。
千代富士B
<千代の富士>

大関の連続優勝の最高数字はどれくらいか。
それは4場所連続優勝である。これが史上
4回ある。最初は昭和29年一月場所からの
4場所である。吉葉山、三根山、栃錦の連続
優勝である。この当時は群雄割拠の時代で
あった。2度目は昭和44年七月場所からの
4場所である。清國、玉乃島、北の富士の
連続優勝である。横綱大鵬に陰りが見え始め
た時期であった。

3度目は平成6年の五月場所からの4場所
である。貴ノ花、武蔵丸、貴ノ花、貴乃花で
ある。貴ノ花は好成績をあげながら、横綱に
昇進できなかった。当時は2場所連続優勝が
横綱昇進の絶対条件であった。最後は2場所
連続全勝優勝で決めた。4度目は平成9年
十一月場所からの4場所である。貴ノ浪、
武蔵丸、3代目若乃花の連続優勝である。
3代目若乃花は横綱に昇進したが、これが
最後の優勝であった。
貴 
<貴乃花>

現在続いている16場所連続大関の優勝なしは、
どういうカタチで終止符をうつのだろうか。
高安か大関に復帰する貴景勝がストップ役に
なるのだろうか。彼らが止めない限り数字は
増えていく一方になる。

日本のラグビーに感動。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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