九月場所、優勝同点で優勝争いを盛り上げた
関脇貴景勝に三賞はなかった。なぜなかった
のか。元大関だからか。貴景勝が優勝した
場合、関脇以下の優勝で三賞なしという奇妙
な記録をつくることになるところだった。
この記録の持ち主は過去朝汐と大鵬のみで
ある。確かに琴奨菊は大関降格して2年4場
所経つが、三賞はない。かといって、元大関
は三賞を受賞できない、という規定はない。
この記録の持ち主は過去朝汐と大鵬のみで
ある。確かに琴奨菊は大関降格して2年4場
所経つが、三賞はない。かといって、元大関
は三賞を受賞できない、という規定はない。
事実、次の元大関は三賞を受賞している。
名寄岩 敢闘賞 2回
三根山 敢闘賞
魁傑 敢闘賞 4回
貴ノ浪 敢闘賞
出島 敢闘賞
雅山 殊勲1、敢闘2、技能1
なかでも名寄岩は涙の敢闘賞として、語り
伝えられている。名寄岩はどういう力士で
あったのか。彼は双葉山・羽黒山とともに
立浪三羽烏と称されたほどの力士である。
173センチ、130キロ、得意手は左差し、右
からの引っ張りこみであったが、それでも
強さを発揮した。土俵では相手が横綱であろ
うと誰であろうとにらみつけ、闘志をむき
出しにした。そこからついたあだ名が怒り
金時であった。
入幕は昭和12年春場所だった。昭和18年春場
所、大関に昇進したが3場所で関脇に降格
した。昭和21年秋場所大関に復帰したものの、
またも3場所で関脇に降格した。大関で11戦
全敗を記録したのがこのときである。全敗の
前の場所は左肩痛で全休している。関脇に
降格したときは胃潰瘍と糖尿病との闘いでも
あった。
昭和22年秋場所、戦後低迷の大相撲を盛り
上げようと三賞が誕生した。名寄岩は大関
降格後も必死に土俵を務め、その間2回敢闘
賞を受賞した。関脇にカムバックしていた。
その真摯な相撲ぶりは見る者の感動を呼び、
全国的人気力士となっていった。相撲は40歳
まで取り、引退した。
引退後、名寄岩をめぐり2つの動きがあった。
日活が名寄岩をモデルにした「涙の敢闘賞」
という映画を製作し、上映した。また、新国
劇が「名寄岩」を公演したほどであった。
この度の台風災害に遭われた方に
心からお見舞い申し上げます。
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