輪島は学生出身の唯一の横綱である。そして
今後も出そうにない気配である。輪島以前
には豊山(前名内田)がいた。豊山は大関
までスピード出世したが、ついに優勝はなく、
横綱に届かなかった。豊山がここ一番の勝負
に弱かったのに対し、小坂秀二氏の言葉を
借りれば、輪島は勝負強いというより勝負が
うまかった。
借りれば、輪島は勝負強いというより勝負が
うまかった。
輪島が横綱で登場したときは、北の富士・
琴櫻の両横綱は晩年であった。新しい力北の
湖が台頭してきていたが、最初は輪島に勝て
ず、頭をおさえられていた。やがて輪湖時代
と呼ばれるほど拮抗してくる。ただ、北の湖
が輪島を超えるのは、時間の問題だった。
そうした状況のなかで、輪島は14回優勝して
いる。このなかには休場がありながら優勝と
いう珍記録がある。輪島はまさに天才であっ
た。
曙は貴乃花、3代目若乃花と同期である。
優勝は貴乃花こと貴花田が先行したが、横綱
は曙が先になった。曙が横綱になったときは、
横綱の交代期であった。横綱不在のなかで
横綱曙が誕生した。4回目の優勝から曙が
貴ノ花より先行した。しかし、貴ノ花が曙の
優勝回数を抜くのは時間の問題だった。貴乃
花の優勝回数は8回から曙を上回り、抜かれ
ることはなかった。曙は11回優勝した。最後
の優勝の翌場所、全休して引退してしまった。
曙と貴乃花が激突しているなかから浮上して
きたのが武蔵丸であった。平成11年大関から
横綱に駆け上がった年には年4回優勝して
いる。貴乃花は優勝20回目から21回目が13場
所開いている。その間の出来事だった。貴乃
花最後の優勝後長期休場にはいらざるを得な
くなったとき、武蔵丸は4回優勝し、12回に
達した。曙より1回多かった。
優勝10回に迫りながら、届かなかったのが
日馬富士である。優勝9回。引退を余儀なく
された事件さえなければ、どうなっていたか。
日馬富士をめぐるifではあるが、何より本人
が10回目の優勝に向かって邁進していた
日馬富士をめぐるifではあるが、何より本人
が10回目の優勝に向かって邁進していた
のではないかと、本当に惜しまれる。
池袋へ行きます。
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