大相撲

優勝10回以上20回未満の横綱1

2019年8月14日

15日制では上位で10勝という2ケタ勝利が
大関につながる成績となる。横綱の優勝回数
はどうだろうか。横綱として納得のいく優勝
回数は、大関以下の優勝回数を含めて通算
10回以上ではないだろうか。20回以上の優勝
になるとさすがに超人的である。優勝10回
以上20回未満の横綱はどれくらいいるのだ
ろうか、調べてみた。対象は場所数が増え
ていった戦後以降である。

大正15年に優勝制度は始まった。戦前は双葉
山の12回が最高である。昭和2年から7年
まで年4場所制であったが、玉錦は惜しくも
9回で止まったままだった。

栃錦!!!
<栃錦のブロマイド>

戦後場所数の増加とともに優勝回数は増えて
いった。戦後、群雄割拠の時代から栃若時代
となり、栃錦が昭和35年一月場所10回目の
優勝を達成した。栃錦の優勝は関脇時代1回、
大関時代3回、横綱時代6回であった。なお、
栃錦が横綱になったときはわずか100キロ
ちょっとであった。現代では考えられない
快挙である。栃錦以前の戦後横綱では優勝
10回に迫った横綱はいなかった。

栃若時代の一方の雄、若乃花は栃錦のあとの
九月場所に10回目の優勝を達成している。
大関時代に2回、横綱時代に8回優勝して
いる。若乃花は地位とともに成績をあげて
きた。若乃花の責任感が成しえた結果である。
ただ、最後の優勝から9場所横綱を務めたが、
優勝は遠かった。

若
<若乃花のブロマイド>

栃若時代のあとは大鵬が優勝を独占していた。
同時代のライバルは優勝10回どころではなか
った。大鵬の晩年時代に誕生した横綱北の
富士が優勝10回を成し遂げた。大関で3回、
横綱で7回優勝している。北の冨士が最も
充実していた時期は昭和44年十一月場所から
昭和45年の七月場所ではないだろうか。大関
で連続優勝し、横綱2場所目、3場所目で
優勝したときの北の富士の速攻はさえまくっ
ていた。

北
<北の富士>

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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