15日制では上位で10勝という2ケタ勝利が
大関につながる成績となる。横綱の優勝回数
はどうだろうか。横綱として納得のいく優勝
回数は、大関以下の優勝回数を含めて通算
10回以上ではないだろうか。20回以上の優勝
になるとさすがに超人的である。優勝10回
以上20回未満の横綱はどれくらいいるのだ
ろうか、調べてみた。対象は場所数が増え
ていった戦後以降である。
大正15年に優勝制度は始まった。戦前は双葉
山の12回が最高である。昭和2年から7年
まで年4場所制であったが、玉錦は惜しくも
9回で止まったままだった。
戦後場所数の増加とともに優勝回数は増えて
いった。戦後、群雄割拠の時代から栃若時代
となり、栃錦が昭和35年一月場所10回目の
優勝を達成した。栃錦の優勝は関脇時代1回、
大関時代3回、横綱時代6回であった。なお、
栃錦が横綱になったときはわずか100キロ
ちょっとであった。現代では考えられない
快挙である。栃錦以前の戦後横綱では優勝
10回に迫った横綱はいなかった。
栃若時代の一方の雄、若乃花は栃錦のあとの
九月場所に10回目の優勝を達成している。
大関時代に2回、横綱時代に8回優勝して
いる。若乃花は地位とともに成績をあげて
きた。若乃花の責任感が成しえた結果である。
ただ、最後の優勝から9場所横綱を務めたが、
優勝は遠かった。
<若乃花のブロマイド>
栃若時代のあとは大鵬が優勝を独占していた。
同時代のライバルは優勝10回どころではなか
った。大鵬の晩年時代に誕生した横綱北の
富士が優勝10回を成し遂げた。大関で3回、
横綱で7回優勝している。北の冨士が最も
充実していた時期は昭和44年十一月場所から
昭和45年の七月場所ではないだろうか。大関
で連続優勝し、横綱2場所目、3場所目で
優勝したときの北の富士の速攻はさえまくっ
ていた。
(この項目続く)
ゲリラ豪雨に出くわしました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
マーク2カ所をクリックして支援して
ください。
よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑↑↑