大相撲

横綱誕生の間隔1

2019年7月31日

横綱稀勢の里が誕生し、デビューしたのは
2017年三月場所だった。負傷をおいながら、
大関照ノ冨士を本割・優勝決定戦で連勝して
の優勝は忘れられないほどの感動を呼びおこ
した。あれから2年2場所が過ぎたが、横綱
誕生の気配は少しもない。横綱候補は本来
大関にいなくてはならないのだが、候補すら
いない。横綱誕生はさらに多くの時間がかか
る流れになっている。
170127稀勢の里明治神宮 198
<稀勢の里>

横綱が実質的地位になったのは常陸山以降で
ある。それ以降東京横綱は52人いる。大阪
横綱宮城山は昭和2年から東西合併により
東京相撲に参加している。この間横綱はどの
ような間隔で誕生してきたのか。誕生は統一
するため、横綱デビュー場所を基点とさせて
いただいてカウントした。

最短期間誕生は当然同日(同時ではない)
横綱である。同日横綱は常陸山・2代目梅ヶ
谷、安芸ノ海・照國、大鵬・柏戸、北の富士・
玉の海である。北の富士と玉の海は同日横綱
に昇進した。では厳密にどちらが先かといえ
ば、大関で連続優勝した北の富士である。
協会のいう先に引退したほうが早い代数は、
合理的理由を見出せない。それだけではなく、
厳密には北の富士のほうが早いのである。
大鵬のケースも同様である。同日以外では
下記のケースである。

輪島 4ヶ月後
大乃国4ヶ月後
栃木山9ヶ月後
北勝海10ヶ月後
2代西ノ海11ヶ月後
北の富士A
<北の富士>

玉の海亡き後琴櫻がワンチャンスをものに
して横綱に昇進した。予想外の横綱昇進で
あった。その2場所後安定した相撲の輪島が
横綱に昇進した。琴櫻は既に32歳であった
のに対し、輪島は25歳であった。時代は輪島
その後に続いた北の湖へと移っていった。
輪 島
<輪島>

双羽黒が優勝なしで横綱に昇進すると、立て
続けに横綱が誕生した。10ヶ月後に北勝海、
その4ヶ月後に大乃国と横綱が誕生した。
双羽黒23歳、北勝海24歳、大乃国25歳とヤン
グ横綱であった。これに千代の富士を加えた
4横綱だったが、双羽黒が思わぬカタチで
廃業して瓦解した。
大乃国
<大乃国>

横綱大錦に続いたのが、同じ出羽ノ海(元
常陸山)部屋の栃木山である。9ヶ月後で
あった。両横綱をかかえ、さらに追走して
くる常ノ花を加え、出羽ノ海部屋は黄金期を
迎えるのであった。

(この項目続く)

猛暑に悲鳴。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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