た。早くも朝乃山の翌場所の成績を気にする
声がある。朝乃山は七月場所で初めて横綱・
大関とフルに対戦する。五月場所で出場した
横綱・大関とフル対戦して関脇以下で勝ち
越した力士は御嶽海、玉鷲、阿炎、竜電の
4人しかいない。片手で数えるほどである。
栃ノ心は豪栄道戦がない。それでは平幕優勝
力士の翌場所はどういう傾向があるのか。
それによって朝乃山の翌場所を予想すること
につながるので調べてみた。
につながるので調べてみた。
からである。その2場所目に早くも平幕優勝
が誕生している。大蛇山である。当時は幕内
の横綱・大関の対戦圏外力士が好成績の場合、
上位と対戦する規定はなかった。翌場所大蛇
山は6勝5敗と勝ち越した。東西制のため、
同じ方屋は戦わなかったので、強敵は単純
計算で半分になるという面も幸いしている。
表を見る限り幕内上位の平幕はともかく、
そうでない平幕は横綱・大関戦がまるでない
優勝が目立つ。優勝制度にともなって、不戦
勝不戦敗制度、取り直し制度を設けた。だが、
出場した横綱・大関全員と対戦した力士に
優勝資格がある、という規定まではいかなか
った。一方は平幕中位下位で星をかせぎ、
もう一方は上位で星をつぶしあうという不合
理をかかえた、ある意味ゆがんだ優勝制度が
まかり通っていたわけである。
3人目の平幕優勝綾櫻は春秋園事件で、協会
を脱退している。そのため翌場所の成績が
ない。綾櫻を除く10人のうち勝ち越しは3人、
五分が1人、負け越しが6人である。勝ち
越し率はたった3割である。それも不合理な
なかの優勝では当然かもしれない。
また、こんな見方もされていた。優勝する
ときに星を借り、翌場所返すので成績が悪く
なるのでは。そういう見方があった時代だっ
た。もちろん真相は不明である。
た。もちろん真相は不明である。
優勝した場所上位総崩れのたなからぼたもち
優勝に発奮したのか、翌場所の最高成績は
佐田の山の11勝4敗である。当時平幕優勝
力士は大関になれないというジンクスがあっ
た。佐田の山は大関どころか横綱にまでのぼ
りつめてしまった。
<入幕3場所目の優勝佐田の山>
大敗したのは富士錦の4勝11敗、若浪の2勝
13敗である。若浪の記録は後にタイ記録が
出るが、今も平幕優勝の翌場所の最低記録と
して残っている。
昭和46年七月場所からようやく幕内中位以下
でも、好成績者は横綱・大関と対戦させる
という規定ができた。ところが…
(この項目続く)
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