貴景勝は突き押し相撲で見事に大関に昇進
した。横綱になるためには四つ相撲を覚えた
ほうがいい、という見方がある。貴景勝は
若い。若いうちは突き押しに徹したほうが
いい。身長が低く、腕も短いのだから四つで
取っても限界がある、という見方もある。
それでは突き押し相撲の先駆者はどうであっ
たのか、みていこう。
たのか、みていこう。
を唱えた。押しのポイントはリズムである。
出ていくリズム、かわされても落ちないで
押していくリズム、リズムにのることが押し
では大切であるという。相撲には吐く息、
吸う息、止める息があるが、押し相撲は止め
る息のまま、一気に勝負を決めるのである。
突き押し相撲でいくのは、不器用だから。
という独特の理論の持ち主は佐田の山である。
不器用だからこそ突き押し以外になかった。
そして突き押しは辛抱と頑固さが必要という。
突き押しで攻めきれないときは、左四つで
攻めた。佐田の山は相撲を変えて成功した。
押しで大関に昇進したのが若羽黒と大受で
あった。若羽黒は脇をしめ、左はず、右おっ
つけの粘っこい押し相撲であった。新大関で
優勝したときが最高のときであった。稽古
嫌いと高血圧・糖尿病・腎臓炎のため大関
から陥落した。
大受は立ち合いから当たって一気に押すと
いうより、左右からじわじわとおっつけなが
ら押すタイプであった。大関昇進直前の場所
は大受の押しを止めるのは容易でなかった
ほど相撲は最高潮であった。この場所史上初
の三賞独占を成し遂げた。その後首を痛めた
傷が悪化して大関を落ちることになった。
突き押しというより、突っ張りで名をなした
のが、千代の山である。千代の山は戦後大相
撲復興の期待の星であった。千代の山の突っ
張りは出羽海部屋で徹底的に鍛えられた。
こうして交互に突っ張る突っ張りが完成した。
番付が上がると、体重のある対戦相手になる。
そこで千代の山は体重をのせた突っ張りと
突っ張ってから右四つに組みとめて攻める
相撲へと発展させた。晩年、馬力が落ちると
かち上げを使った。
貴景勝の相撲は今後どのようになるのか。
押して残られたら、浅くさして寄り切る相撲
があるのか。大関貴景勝に注目していきたい。
底冷えの日です。
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