大相撲

突き押し相撲の先駆者

2019年4月10日

貴景勝は突き押し相撲で見事に大関に昇進
した。横綱になるためには四つ相撲を覚えた
ほうがいい、という見方がある。貴景勝は
若い。若いうちは突き押しに徹したほうが
いい。身長が低く、腕も短いのだから四つで
取っても限界がある、という見方もある。
それでは突き押し相撲の先駆者はどうであっ
たのか、みていこう。
富士錦
<富士錦のブロマイド>>

大鵬時代に活躍した富士錦は押しのリズム論

を唱えた。押しのポイントはリズムである。
出ていくリズム、かわされても落ちないで
押していくリズム、リズムにのることが押し
では大切であるという。相撲には吐く息、
吸う息、止める息があるが、押し相撲は止め
る息のまま、一気に勝負を決めるのである。

突き押し相撲でいくのは、不器用だから。
という独特の理論の持ち主は佐田の山である。
不器用だからこそ突き押し以外になかった。
そして突き押しは辛抱と頑固さが必要という。
突き押しで攻めきれないときは、左四つで
攻めた。佐田の山は相撲を変えて成功した。
佐田山 晋松
<佐田の山のブロマイド>

押しで大関に昇進したのが若羽黒と大受で
あった。若羽黒は脇をしめ、左はず、右おっ
つけの粘っこい押し相撲であった。新大関で
優勝したときが最高のときであった。稽古
嫌いと高血圧・糖尿病・腎臓炎のため大関
から陥落した。

大受は立ち合いから当たって一気に押すと
いうより、左右からじわじわとおっつけなが
ら押すタイプであった。大関昇進直前の場所
は大受の押しを止めるのは容易でなかった
ほど相撲は最高潮であった。この場所史上初
の三賞独占を成し遂げた。その後首を痛めた
傷が悪化して大関を落ちることになった。
大受
<大受のブロマイド>

突き押しというより、突っ張りで名をなした
のが、千代の山である。千代の山は戦後大相
撲復興の期待の星であった。千代の山の突っ
張りは出羽海部屋で徹底的に鍛えられた。
こうして交互に突っ張る突っ張りが完成した。
番付が上がると、体重のある対戦相手になる。
そこで千代の山は体重をのせた突っ張りと
突っ張ってから右四つに組みとめて攻める
相撲へと発展させた。晩年、馬力が落ちると
かち上げを使った。

貴景勝の相撲は今後どのようになるのか。
押して残られたら、浅くさして寄り切る相撲
があるのか。大関貴景勝に注目していきたい。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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