大関と対戦する力士が現われた。前頭7枚目
の和歌嶋である。本来横綱・大関の対戦圏内
は6枚目の天竜までであった。和歌嶋は好
成績だから大関豊國との対戦が組まれたわけ
ではない。初日に対戦しているのである。
前頭4枚目の7勝4敗の信夫山がなぜか豊國
との対戦がなかった。
昭和4年9月場所、前頭7枚目の古賀ノ浦は
終盤で大ノ里と対戦した。これは寳川が8日
目から休場したための繰り上がり対戦であっ
た。横綱常ノ花は寳川と対戦済みであった
ため、古賀ノ浦との対戦は組まれなかった。
昭和6年春場所11日制。10日目をむかえ、
関脇朝潮(のちの男女ノ川)と前頭14枚目
鏡岩が8勝1敗でトップだった。大関玉錦と
関脇天竜が7勝2敗で追走していた。10日目、
ここまで平幕相手だった鏡岩に大関常陸岩が
ぶつけられた。
朝潮は小結武蔵山を攻め込みながらも、小手
投げで体勢をくずし、2敗に後退。鏡岩は
大関常陸岩を寄り切って1敗を守った。常陸
岩はこの場所不調で、最終的には負け越して
いた。そして翌場所全休して引退している。
千秋楽をむかえ、単独トップとなった鏡岩の
対戦相手は、前頭筆頭で4勝6敗と負け越し
ている山錦であった。猛牛鏡岩は突進したが、
山錦は左に体を開いてはたき込んだ。朝潮対
天竜の2敗同士の対戦は、朝潮が勝利した。
さらに2敗玉錦が小結武蔵山に勝って、優勝
は結局玉錦となった。玉錦は翌場所も優勝
して3連覇を達成したが、横綱になれなかっ
た。
<玉錦のブロマイド>
昭和6年夏場所。横綱・大関の対戦圏内は
張出小結山錦が4日目から休場したとはいえ、
前頭8枚目常盤野までであった。それがなん
と、11枚目藤ノ里が大関玉錦と5日目組まれ
ている。まだ前半だから、勝ち続けたわけ
ではない。また、玉錦戦が組まれなかった
常盤野が初日から4連敗だとしても、その
下には新海もいたのである。
昭和7年1月、時代は力士の待遇改善を求め
る力士側と協会の折り合いがつかず、多くの
脱退力士を生んだ。世にいう春秋園事件で
ある。これが大相撲にある変化をもたらした。
栄養バランス弁当を食べました。
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