十一月場所で、貴景勝が数少ない小結優勝を
達成した。史上9例目であった。関脇優勝が
26場所あるのと比較しても、小結優勝がいか
に珍しいかがわかる。それでは小結優勝の
翌場所はどういう成績をあげているのか、
調査してみた。それが以下である。
いる。例外は武蔵山である。この当時は東京
場所と地方場所を合わせた成績で番付編成を
しているためである。東京場所で優勝した
ため武蔵山は番付編成がなく、翌場所も同じ
地位になったわけである。武蔵山は翌場所
8勝2敗1休と好成績を残し、2場所の合計
成績で一気に大関に昇進している。後に横綱
に昇進したが、優勝はこれ1回きりであった。
沖ツ海は悲劇の人だった。優勝した後6勝
4敗1分、9勝2敗、6勝4敗1分、7勝
3敗1分と勝ち越しを続けた。だが、優勝の
翌年の9月末、フグの毒にあたり帰らぬ人と
なった。佐賀ノ花は優勝の翌場所7勝3敗の
好成績を残し、翌場所大関に昇進している。
ただし、新大関の場所は1勝もできずに、
途中休場してしまった。以上は東西制での
成績である。
安念山は系統別総当たりでの優勝であった。
だから時津風部屋の横綱鏡里との対戦はなか
った。翌場所は9勝6敗でその翌場所は負け
越している。安念山はついに大関になれず、
残念山といわれた。魁傑以降は部屋別総当た
り制での成績である。魁傑は横綱北の湖との
優勝決定戦を制しての初優勝であった。翌
場所も11勝4敗と好成績をのこし、大関に
昇進した。
平成にはいり、貴花田が小結優勝を成し遂げ
た。これは2回目の優勝であった。翌場所
10勝5敗、その翌場所11勝4敗の成績をあげ
て大関昇進を決めた。若花田が初優勝を小結
で達成したとき、弟貴花田はすでに2回優勝
していた。若花田の気迫が優勝をもたらした。
翌場所10勝5敗、その翌場所13勝2敗の成績
で大関に昇進した。
魁皇は曙・若貴と同期である。彼らより遅れ
てきた英雄だが、めきめき地力をつけてきた。
その魁皇の初優勝は小結であった。翌場所も
11勝4敗と好成績を残した。さらにその翌
場所も11勝をあげ、大関昇進を確定した。
こうみてくると小結の優勝力士の翌場所は
皆勝ち越している。優勝を起点にして大関を
決めた力士が6人もいる。-それだけに、貴
景勝はきたる一月場所を好材料で臨めそうで
ある。
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