現代まできた。それだけに記憶に新しいので
はないだろうか。四股名も現役が多い。例外
は大砂嵐で、不祥事のためすでに引退して
いる。照ノ冨士、豊ノ島は幕下に陥落中で
ある。平成29年九月場所、大関から降格した
琴奨菊の名が見える。平成23年九月場所以来
だから6年経っていることになる。
このテーマは以前掲載した殊勲賞の中身の
変形になっている。三賞の黎明期における
殊勲賞は、必ずしも優勝力士を倒した者が
受賞するとは限られていなかった。関脇以下
の優勝力士キラーによってどれくらい殊勲賞
を受けたかが、わかりやすいカタチになった
と思う。ただ、三賞は勝ち越した力士しか
もらえない。だが、相撲内容によっては負け
越した力士にも受賞があってもいいのでは。
これは三賞誕生とともにあった意見でもある。
さらに関脇以下の力士が優勝すると、場所を
盛り上げたということで殊勲賞を受賞する
ようになった。今年の一月場所の栃ノ心、
七月場所の御嶽海もこの基準による殊勲賞
受賞である。これは昭和47年七月場所、高見
山が平幕優勝したときにできた基準である。
昭和56年九月場所の琴風のように必ずしも
全員が受賞できるとは限らない。
なお、最多関脇以下の優勝力士キラーは安芸
乃島の10度である。次が魁皇の8度、稀勢の
里の7度と続く。連続は鏡里の3場所が最高
である。関脇以下の現役力士では、琴奨菊が
4度、嘉風が3度あるが、数字的にははるか
に及ばない。
★最後に
このテーマが始まったのは、今年(平成30年)
の6月19日です。大相撲のデータは戦後だけ
に限っても、73年に及びます。膨大な時間を
常に費やさざるを得ない状態でした。間隔が
あいての掲載でしたが、最後までおつきあい
いただいた読者の皆様に感謝しつつ千秋楽と
します。
アジア大会を見ています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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よしなに
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