大相撲

関脇以下の優勝力士キラー10最終回

2018年8月26日

平成26-30A
関脇以下の優勝力士キラーのテーマはついに
現代まできた。それだけに記憶に新しいので
はないだろうか。四股名も現役が多い。例外
は大砂嵐で、不祥事のためすでに引退して
いる。照ノ冨士、豊ノ島は幕下に陥落中で
ある。平成29年九月場所、大関から降格した
琴奨菊の名が見える。平成23年九月場所以来
だから6年経っていることになる。
180708初日十両 597
<現役力士>

このテーマは以前掲載した殊勲賞の中身の
変形になっている。三賞の黎明期における
殊勲賞は、必ずしも優勝力士を倒した者が
受賞するとは限られていなかった。関脇以下
の優勝力士キラーによってどれくらい殊勲賞
を受けたかが、わかりやすいカタチになった
と思う。ただ、三賞は勝ち越した力士しか
もらえない。だが、相撲内容によっては負け
越した力士にも受賞があってもいいのでは。
これは三賞誕生とともにあった意見でもある。
1705風景 007
<三賞>

さらに関脇以下の力士が優勝すると、場所を
盛り上げたということで殊勲賞を受賞する
ようになった。今年の一月場所の栃ノ心、
七月場所の御嶽海もこの基準による殊勲賞
受賞である。これは昭和47年七月場所、高見
山が平幕優勝したときにできた基準である。
昭和56年九月場所の琴風のように必ずしも
全員が受賞できるとは限らない。

なお、最多関脇以下の優勝力士キラーは安芸
乃島の10度である。次が魁皇の8度、稀勢の
里の7度と続く。連続は鏡里の3場所が最高
である。関脇以下の現役力士では、琴奨菊が
4度、嘉風が3度あるが、数字的にははるか
に及ばない。
171109前夜祭 956
<嘉風(左)と琴奨菊>

★最後に
このテーマが始まったのは、今年(平成30年)
の6月19日です。大相撲のデータは戦後だけ
に限っても、73年に及びます。膨大な時間を
常に費やさざるを得ない状態でした。間隔が
あいての掲載でしたが、最後までおつきあい
いただいた読者の皆様に感謝しつつ千秋楽と
します。

アジア大会を見ています。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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