昭和最後から平成初期の優勝力士キラーを
みていこう。ただし、横綱・大関と対戦の
ない平幕優勝力士及び横綱・大関と部分対戦
の平幕優勝力士に勝った力士は、対象外と
させていただいた。この時期は千代の富士の
優勝街道を邁進中であり、弟弟子の北勝海が
台頭し、横綱に昇進していた。
の優勝力士キラーとなった。この数字は新記
録となった。朝汐は横綱北の湖から3度、
横綱千代の富士から2度、関脇琴風から1度
勝利している。北の湖には特に強く、不戦勝
を含め13勝7敗の対戦成績を残している。
優勝力士キラーとして5回殊勲賞を受賞して
いる。自身が優勝したときは、鳳凰と北尾に
不覚をとっている。
昭和60年七月場所、大錦が優勝北天佑に勝っ
て3度目の関脇以下の優勝力士キラーになっ
ている。1度目は昭和49年九月場所だから
長期間にわたる記録となった。惜しむらくは
3度とも負け越していることだ。
北勝海は1度も優勝力士キラーになっていな
い。同部屋の千代の富士とは対戦がないと
いうこともある。その千代の富士も関脇以下
で1度も優勝力士に勝っていない。歴史は
ときには奇妙な結果をもたらす。
<貴花田>
平成にはいると安芸ノ島、貴花田、若花田の
藤島(元貴ノ花)部屋勢の名が登場してくる。
若貴ブームによる666日連続満員御礼は平成
元年十一月場所から始まっている。琴奨菊の
優勝以降大相撲は大変な人気だが、666日
連続満員御礼はケタ違いの人気であった。
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よしなに
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