大相撲

関脇優勝その翌場所3

2018年8月1日

関脇優勝3A
 大鵬から年6場所制である。比較的現代の

制度に近づいてきている。大鵬は入幕した年
に関脇優勝している。驚異の新人であった。
成績も11勝-12勝-13勝優勝だから文句なし
の大関昇進であった。大鵬は関脇で優勝しな
がら三賞が1つももらえなかった。関脇以下
の優勝で三賞なしは、朝汐についで2例目で
あった。この後は例がない。大鵬は優勝して
当然の逸材であり、その将来は横綱間違い
なし、という見方がされていた。大鵬の期待
の大きさが窺われる。
大鵬!
<大鵬のブロマイド>

佐田の山の関脇優勝は2度目の優勝であった。
初優勝は昭和36年五月場所の入幕3場所目で
あるが、平幕優勝で横綱・大関との対戦は
皆無であった。おまけに十両優勝の清ノ森に
負けており、幕内優勝者は十両優勝者より
弱いと言われた。平幕優勝者は大関になれ
ない、というジンクスがあった。佐田の山は
これを破っての大関昇進であった、次の栃ノ
海をみてもわかるように昭和30年代、関脇
優勝は即大関昇進のムードがあった時期で
あった。
佐田の山
<佐田の山>

昭和47年は誰が優勝するか、まるでわから
ない混戦の時期である。そのなかで関脇優勝
をしたのが、長谷川である。長谷川は3場所
30勝しているから大関にしてもいいのでは、
という見方があった。春日野(元栃錦)は
「輪島だって11勝-10勝-9勝と30勝なん
だよ」と牽制したものである。混乱の時期と
星数に決定力がなかったことで、長谷川の
大関昇進の機会は永遠に失われた。
長谷川
<長谷川のブロマイド>

輪島の優勝は昭和47年五月場所であった。
混乱の時期の優勝は長谷川同様、輪島も
変わらなかった。翌場所大関をかける場所で
8勝7敗とチャンスを逃したように見えた。
ところがそのままにしておかないのが、輪島
の輪島たる所以である。8勝の翌場所13勝を
あげ、おまけに千秋楽、関脇貴ノ花と大熱戦
の大相撲を取り、貴乃花と同日昇進ムードで
大関に昇進したのである。
輪島北湖
<輪島(左)と北の湖>

昭和48年十一月場所、関脇北の湖は9勝2敗
と好調な成績で勝ち進んでいた。ところが、
12日目足首を骨折する重傷に陥り、13日目、
14日目と連敗し、9勝5敗で千秋楽に臨んだ。
対戦相手は大関大麒麟であった。ケガは思わ
しくなかったが、最後の一番で大麒麟に勝っ
て10勝目をあげた。この10勝がやがて大きな
意味をもつことになった。

北の湖は上位での最高成績が10勝で、まだ
優勝候補にはあげられていなかった。年が
明けた昭和49年一月場所、東正横綱輪島と
東関脇北の湖が初日から対戦した。そして
なんと北の湖が勝ってしまったのである。
これを皮切りに北の湖の快進撃が始まった。
連戦連勝が続き、14勝1敗で優勝してしまっ
たのである。先場所の10勝がモノをいって
場所後大関に昇進できたのであった。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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