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関脇優勝その翌場所3

関脇優勝3A
 大鵬から年6場所制である。比較的現代の

制度に近づいてきている。大鵬は入幕した年
に関脇優勝している。驚異の新人であった。
成績も11勝-12勝-13勝優勝だから文句なし
の大関昇進であった。大鵬は関脇で優勝しな
がら三賞が1つももらえなかった。関脇以下
の優勝で三賞なしは、朝汐についで2例目で
あった。この後は例がない。大鵬は優勝して
当然の逸材であり、その将来は横綱間違い
なし、という見方がされていた。大鵬の期待
の大きさが窺われる。
大鵬!
<大鵬のブロマイド>

佐田の山の関脇優勝は2度目の優勝であった。
初優勝は昭和36年五月場所の入幕3場所目で
あるが、平幕優勝で横綱・大関との対戦は
皆無であった。おまけに十両優勝の清ノ森に
負けており、幕内優勝者は十両優勝者より
弱いと言われた。平幕優勝者は大関になれ
ない、というジンクスがあった。佐田の山は
これを破っての大関昇進であった、次の栃ノ
海をみてもわかるように昭和30年代、関脇
優勝は即大関昇進のムードがあった時期で
あった。
佐田の山
<佐田の山>

昭和47年は誰が優勝するか、まるでわから
ない混戦の時期である。そのなかで関脇優勝
をしたのが、長谷川である。長谷川は3場所
30勝しているから大関にしてもいいのでは、
という見方があった。春日野(元栃錦)は
「輪島だって11勝-10勝-9勝と30勝なん
だよ」と牽制したものである。混乱の時期と
星数に決定力がなかったことで、長谷川の
大関昇進の機会は永遠に失われた。
長谷川
<長谷川のブロマイド>

輪島の優勝は昭和47年五月場所であった。
混乱の時期の優勝は長谷川同様、輪島も
変わらなかった。翌場所大関をかける場所で
8勝7敗とチャンスを逃したように見えた。
ところがそのままにしておかないのが、輪島
の輪島たる所以である。8勝の翌場所13勝を
あげ、おまけに千秋楽、関脇貴ノ花と大熱戦
の大相撲を取り、貴乃花と同日昇進ムードで
大関に昇進したのである。
輪島北湖
<輪島(左)と北の湖>

昭和48年十一月場所、関脇北の湖は9勝2敗
と好調な成績で勝ち進んでいた。ところが、
12日目足首を骨折する重傷に陥り、13日目、
14日目と連敗し、9勝5敗で千秋楽に臨んだ。
対戦相手は大関大麒麟であった。ケガは思わ
しくなかったが、最後の一番で大麒麟に勝っ
て10勝目をあげた。この10勝がやがて大きな
意味をもつことになった。
北の湖は上位での最高成績が10勝で、まだ
優勝候補にはあげられていなかった。年が
明けた昭和49年一月場所、東正横綱輪島と
東関脇北の湖が初日から対戦した。そして
なんと北の湖が勝ってしまったのである。
これを皮切りに北の湖の快進撃が始まった。
連戦連勝が続き、14勝1敗で優勝してしまっ
たのである。先場所の10勝がモノをいって
場所後大関に昇進できたのであった。
(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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