戦後の混乱期、日本の古いものはすべてダメ
という風潮のなか、相撲人気はどん底であっ
た。そんななか、相撲協会と記者クラブが
人気回復に考え出したのが、優勝決定戦制度
であり三賞であった。これまで同点の成績の
場合、番付上位者の優勝であった。また、
優勝はごく限られた力士しかねらえないが、
三賞なら誰にでもチャンスがある。という
ことでファンにも好評であった。
また、昭和20年代は場所数が、3場所から
4場所へと増えていく時期であった。当然
優勝力士が増えるとともに優勝力士キラーも
増えてくる。昭和20年代をみていこう。
そのなかで勝ち越した力士は22人。かなり
高い数値である。このうち三賞を受賞した
優勝力士キラーはのべ10人である。
鏡里は3場所連続優勝力士に土をつけている。
千代ノ山に2度、東富士を1度倒している。
東富士には師匠の双葉山が敗れているだけに、
してやったりだった。三賞は、昭和24年秋場
所殊勲と敢闘をダブル受賞している。3場所
連続の1年後に大関に昇進している。最終的
には横綱にまでなったが、地味なイメージの
力士であった、
三根山は3度優勝力士キラーになっている。
東富士に2度、栃錦に1度勝利している。
150キロ以上の巨体で一気に出る前進相撲で
破壊力があった。後年逆転したが、下から
上がってきた栃錦の壁となっていた。三根山
の場合すべて三賞受賞につながっている。
殊勲賞2回、敢闘賞1回である。
かつて栃錦は怒涛の寄りといわれた横綱東富
士に3度まともにいき玉砕した。東富士に
栃錦はまともにくるなと思わせて、4度目に
奇襲けたぐりで勝利した。その栃錦は優勝
東富士から2勝している。これが東富士から
の2勝目、3勝目になっている。いずれも
技能賞を受賞している。技能派栃錦の面目
躍如である。